※某所にアップしたSSの全年齢対象版です。
※冒頭グロ注意。




















―――なのはとクロノが失踪した。


 ユーノがその知らせを受けたのは、失踪事件が起こって間もなく。フェイトから連絡を受けたはやてが青ざめた顔をして、無限書庫へと駆け込んできた。はやての口にする事件の詳細に、ユーノも顔色を悪くしていった。

 最後に二人を見たのはエイミィだった。第97管理外世界――有り体に言えば、海鳴市のハラオウン家の近くの公園を二人が歩いていたという。何てことのない、ただの散歩だと、その時エイミィは思っていた。その直後、わずか数時間後になのはとクロノは失踪した。
 ただそれだけなら、最悪の事態を回避したいがために、許されざる恋の果て、駆け落ちに興じたのではないかと茶化すことができた。だが、クロノの部屋に残った夥しい量の血痕が、くだらない考えを封じた。
 むせ返るような鉄の匂い。粉々に砕かれたレイジングハート。赤黒く染まるベッドと壁と床。血が乾いた床に落ちた、汚れていない待機モードのデュランダル。
その血が、誰のものかは判別できなかった。一人の人間の血なのか、または二人なのか、それとももっと大人数の血が流れたのか。
 失踪した二人が殺されてしまったのか。クロノがなのはを殺してしまったのか。それとも、なのはがクロノを殺してしまったのか。または、二人が誰かを殺して、逃亡を図ったのか。

 現地の警察機関の手を阻み、時空管理局の一部は二人の魔導師の失踪を、内密に調査した。
 ユーノは泣きじゃくるフェイトをなだめつつも、事件を解決しようと調査に参加した。広域エリアサーチ、現地での調査における隠蔽工作。多少の違法行為があっても、同じく調査に協力してたリンディがもみ消していった。


 それでも見つからない。わかったのは、あの血痕が一人の人間の血であること。おそらく、大きな血管を切られ、そこから血が吹き出たこと。クロノが残したデュランダルは二人がいなくなった後に、その場に落ちたのだろうということ。
 そして、現場では何らかの性行為が行われていたということ。


 調査はそこで打ち切られた。それ以上の結果は得られない。より最悪の事態が発覚する前に隠してしまおうという動きになった。ユーノはそれでは納得がいかないと抗議しようとしたが、リンディとはやてに抑えられた。

 もし、なのはとクロノが何らかの重大な違法行為に携わっていたら。


 たとえ真実がわからなくも、なのはとクロノは見つからない。どんな汚名でも被せ放題のこの状況では、あまりにも分が悪かった。
 何しろ、なのはは管理局の若いエース、クロノは若くて優秀な執務官と、周りからやっかみの対象になりがちなのだ。もうすでに、くだらない噂は流れている。
 高町なのはとクロノ・ハラオウンの不貞。恋人のいるクロノがまだ幼いなのはに手を出し、連れ去ってしまった。そんな噂が跋扈し始めている。
 その噂を耳にしたユーノの瞳は憤りに揺れる。彼の大切な友人たちは、そんなことはしない。二人を知るものならば、簡単にわかることだろうに、他人の悪意は防げない。

 今は、噂を鎮静する方が賢明だとエイミィは言った。一番辛いのはクロノの恋人であるエイミィだろうに、彼女は気丈にも一度も涙を見せなかった。二人がいなくなってから情緒不安定になったフェイトを慰め、悲しさを隠し通そうとするリンディとはやてを励まし、支えた。
 そんな彼女の言葉に、ユーノは折れた。


 それから一年。
 噂は数カ月続いたが、今は何事もなかったかのように、管理局は普通に機能している。クロノとなのはが抜けた穴は補充され、二人がいなくなったことなど、人の記憶から薄れていった。


「もう、一年か………」

 ユーノはミッドチルダではない、他の管理世界へと出向いていた。発掘調査のためであったが、彼は他人の手を借りずに、二人を探そうとしていた。一人でできることには限界がある。けれど、何もせずにいることはできず、彼は何かにつけて外部へ足を運んだ。
 誰にも自分の意図を気付かせないように、その時その時の研究を利用していた。リンディあたりは何となく気付いている気がしたが、あえて何も言わないようだった。ユーノにとって、その気遣いがとてもありがたかった。

 それでも、結果は出なかった。もう何度繰り返したかわからない。この一年、ユーノはユーノなりに、力を尽くしてきたつもりだった。だが、結果が伴わない。なのはも、クロノも見つからない。
 もう、どこかで二人仲良く暮らしているなら、それでも良いかと思い始めてしまっている。ユーノは最悪の事態―――二人とも、もうこの世には存在していないと考えたくないのか、自らも鎮静化に努めた噂のような空想をしてしまう。
 そんな考えが頭を過っては、ユーノは頭を振る。そんなわけがない。なのはとクロノに限って、あり得ない。何故なら、二人ともそれぞれに想う相手が別にいる。あの頑固ななのはと、愚かなまでに真面目で筋が通ったクロノが、あの二人を裏切るはずがない。それはユーノも痛いほどにわかっていた。

 だって、ユーノは誰よりもなのはを理解しているのだから。

 誰しも、ユーノはなのはの理解者だと口にする。彼の中に渦巻く恋慕に気付きもしないで―――。


「なのは……」

 ある管理世界のある土地の繁華街。また結果を得られなかったユーノは、昼食を取ろうとその場に着ていた。人通りの多いこの場所で、不審に思われるだろうが、ユーノはそう切なげに呟く。ここがどこだかも忘れて、ここにはいない彼女の名を呼んだ。
 その時だった。

『助けて…!』

「え……?」

 ユーノはなのはの声を聞いた気がした。
 彼女を想うあまり、幻聴でも聞いたのだろうか。そう考えながらもユーノはあたりを見渡す。もしかしたら、なのはの声によく似た声の女性がたまたまいて、その女性が助けを求めてきたのかもしれない。そちらの方が、なのはが助けを求めてきていると考えるよりあり得る。
 ユーノはキョロキョロとあたりの様子を伺うが、それらしき女性は見当たらない。ならば、ただの幻聴か。そう思い、ユーノが前を向こうとすると、視線の端に違和感を感じた。

「な……の、は?」

 喧騒を避けるように路地裏へと歩いていく少女の後ろ姿。見慣れた栗毛の髪。不意に見えた横顔は、なのはそのものだった。
 探査魔法に、彼女は引っかからなかった。他人の空似である可能性も捨てきれなかったが、ユーノはわずかな希望に縋るように、少女を追いかけた。

「なのは……!?」

 別人の可能性だってあるというのに、ユーノはなのはの名を呼んだ。別人ならそれでも良い。でも、なのは本人だったら。
 名前を呼んで、彼女を助けたかった。助けを求められたからには、何が何でも。
 そう思い、ユーノは人を掻き分け、少女まで数メートルのところまでたどり着く。もう一度、なのはの名を叫ぶと、今まで振り返らなかった少女は驚きに目を見開く。

「ユーノ……君…?」
「なのは!」

 髪を結わずに、下ろした姿だったが、その少女は確かに高町なのはだった。ユーノがよく見知った、恋しい少女だった。
 一年の間に成長したのか、身長はユーノが知るより少々高い。一年前より、ずっと大人に近づいた顔だち。母である桃子に、より似てきた。
 ユーノの視界が感動の涙で歪んでいく。なのはは生きていた。生きていたんだ。



「あ……ああ…っ」

 喜びに震えるユーノとは反対に、なのはは何かに怯える。まるで見てはいけないものを見てしまったかのように。そんなこと、今のユーノは気付かない。

「だめぇ……っ、ユーノ君! 逃げてぇええ!」
「え……?」

 なのはが絶叫する。ユーノが驚きを見せる前に、彼の頭部に衝撃が走る。背後から何者かに殴られた。視界がブラックアウトし、ユーノはそのまま意識を失った。彼の身体は、何者かに引きずられる。意識があるなら、この者か理解できた。誰がなのはをこの世界に連れてきたのか―――誰がクロノを殺したのかを。




「あ、れ……?」

 目を開いたら見知らぬ場所にいた。ごく普通の民家のものであろう天井。ズキズキと痛みを訴える後頭部。そして、なのはの泣き声が聞こえてくる。

「やめて……やめてぇ…っ…」

 なのはの泣き声に、ユーノの意識は一気に覚醒する。いつも強い心を抱いていた彼女をこんなに弱々しく変える何かを確かめようと、ユーノは起き上がろうとした。けれど、両手両足――首までバインドで縛られていた。
 ならば、犯人は魔導師か。それも、ユーノが解除を試みても外れないほどのものを仕掛ける力を持つもの。いなくなったクロノなんかはバインドが得意だが。ならば、クロノがなのはを泣かせたのか。そう思ったが、ユーノは気付いてしまった。

「なのは……大丈夫だよ…? なのははわたしが守るから……」

 そう、なのはに囁く声の正体、自身を縛るバインドの魔力光の色に。

「フェイ……ト……?」

 なのはの声がする方に視線だけでもやると、長い金髪がなのはの姿を遮った。まるで母親が娘を宥めるように、フェイトはなのはを抱きしめていた。

「フェイト!」
「それにね、なのは……外は危ないんだよ? 怖い人に見つかったら、なのはは可愛いから、きっと連れ去られちゃう」

 ユーノの呼びかけをフェイトは無視する。悪いことをした子どもを叱るような口ぶりで、なのはに話しかける。

「やめて……っ」
「だからね、わたしはなのはを守るんだ……」

 泣きじゃくるなのはの言葉すら、フェイトは無視し、うわ言のように『守る』という言葉を繰り返す。その姿は狂気じみていて、ユーノの背筋が凍る。
 何で、フェイトがここにいるのだ。どうして、ユーノを拘束しているのだ。そう問いかけたかったが、ある人物の登場により、ユーノは愕然とする。

「もう、フェイトちゃんったら。もみ消すの大変なんだからね!」
「あ、エイミィ」

 何事もないかのように、彼女は突然現れた。ユーノがフェイトに気を取られているうちに、部屋に入ったのだろう。フェイトはユーノのことは無視するくせに、彼女にはきちんと反応を見せた。

「ごめんなさい………」
「あ、ごめんね。怒るつもりはないんだ?」

 しょんぼりとするフェイトの頭を、エイミィの手がそっと撫でる。なのははエイミィの登場に、より怯えているように見えた。

「クロノくんはもういないけど、あたしはフェイトちゃんのお姉ちゃんだから、フェイトちゃんを守ってあげる。そう、約束したでしょう?」
「うん……」
「大丈夫……お姉ちゃんが、何とかするから」

 そう言って、もう一度フェイトの頭を撫でた。

「だからね、あたしもフェイトちゃんにお願いしたいんだ…」
「……ううん、大丈夫。エイミィがお願いしなくてもね、わたし……ちゃんとできるから」
「やめて…やめてぇええ!」

 穏やかに会話をする二人とは反対に、なのはの表情はどんどんと歪んでいく。二人の会話の意図に気付いているようだった。
 そんななのはをエイミィは見下ろし、一瞬だけ冷めた眼差しをなのはに注いだ。けれど、それは一瞬のことで、すぐに穏やかな表情へと戻っていった。

「エイミィさん! フェイト! どうして…!?」

事情がわからず困惑するユーノは思わず叫んだ。何でなのはがここにいるのか、クロノがいないとはどういうことなのか――――どうして、二人がいなくなった時に、何も知らないという顔をしていたのか。
 様々な疑問を、一言に乗せた。それでユーノの言いたいことを察したのか、エイミィは彼に視線をやる。

「どうしてって? 簡単なことだよ。クロノくんが、なのはちゃんを抱いたの」
「え……?」
「鬼畜だよねえ、なのはちゃんはこんなに小さいのに、手を出しちゃたんだよねぇ」
「やめて………」
「おかしいよね? ユーノくん。他に好きな人がいたはずなのに、なのはちゃんとクロノくん、両想いだったんだって」
「やめてえええ!」

 普段と変わらないエイミィの口調と、なのはの叫び声。その二つがユーノの耳に不協和音となって届く。
 他に好きな人とは、エイミィとフェイトのことだろう。ユーノは衝撃を受けた。ユーノは、クロノを信じていた。どんなに勝手な噂が立てられても、クロノがそんなことをするはずがない。自分が好きな少女は、フェイトのことを好きだと。それを覆すことができないから、自分の恋は報われないのだと。

 だが、噂が本当で、自分の信じてきたものが嘘だったのだと、ユーノは知ってしまった。

 彼の心が、砕かれていく。フェイトに強く抱きしめられながら、なのははボロボロと涙を流した。二人の様子を意に介さず、エイミィは言葉を続ける。

「クロノくんがいなくなったあの日、あたし見ちゃったんだぁ。クロノくんがなのはちゃんにキスしてるの……で、フェイトちゃんに思わず報告しちゃったわけ」

 エイミィの言葉に、ユーノはハッと気づく。
 エイミィの言葉が本当ならば、あの血痕の主が誰なのか。誰が、彼を殺したのか。

「正直、悪かったと思ってるんだよね。あたしが言わなきゃ、フェイトちゃんは泣かずに済んだ………こんなに苦しまずに済んだ。だからね、あたしがフェイトちゃんを守ろうって決めたの。不甲斐ない、お兄ちゃんの代わりに」


 そのお兄ちゃんも、とっくの昔にゴミ収集車にぐちゃぐちゃにされてるけど。


 彼の遺体を捨て、全てを見ていたなのはを拉致した。ミッドチルダ以外の管理世界で住居を手に入れ、そこになのはを住まわせた。彼女の心を折る方法を考え実行した。毎日なのはに会いに行くフェイトの足跡を抹消した。情報操作、捜査撹乱。
 あの手この手を使い、なのはの存在を隠し通してきた。
 必死になっているユーノに、何食わぬ顔で労わりの言葉をかけ、夫だけではなく息子まで亡くしてしまったリンディを偽った。

 ユーノには信じられなかった。だって、ユーノが知るエイミィはそんな非情なことができる女性ではなかった。クロノを隣で支え、落ち込みがちなフェイトを明るい方向へと連れて行ってやり、場を和ませてきた彼女が、どうしてそんなことができたのか。


 彼女をそんな凶行に導いたのは、他でもないクロノであった。



「あ…あ………ああああっ」

 ユーノは気付いてしまった。全てを狂わせたのはクロノと、ユーノが大切に想っているなのはだった。フェイトを狂わせ、エイミィに道を踏み外させたのは、ユーノが信じていた二人だった。
 ユーノは絶望に声をあげる。だが、それも長くは続かない。

「……今度はユーノが連れてっちゃう……なのはを、わたしから、どこかへ連れてっちゃう……」
「やめて、フェイトちゃん! やめてえええええええ!!」

 なのはの声がユーノの耳をつんざく。なのはの制止むなしく、ユーノの視界は赤く染まった。
 残ったのは血にまみれた、物理破壊設定のバルディッシュ。ユーノの血で汚れた金色は、主の狂った姿に泣いている気がした。








 彼はどこかで聞いた気がした。もうすでに、頭部と胴体が離れていたが、確かに聞いていた。
 優しくも、どこか寂しい声。正気でいるのか、狂気に墜ちたのか、判別できない――危ういラインに立った声。

「馬鹿だなあ………クロノくんは……」

 そう言って、彼女は彼の頭部を持ちあげ、抱きしめた。

「あたしが、気付かないとでも思った……?」

 なのはに惹かれいることに――――いや、二人が惹かれあっていることに。
 一番そばにいたはずの気持ちが、遠く離れていた。近くにあっても、遠い。手が届かない悲しさ。それを知らずに、せめて知らないふりをできたら、どんなに良かったことか。

「馬鹿だよね………」

 彼女は、自分の手を離した男をずっと抱きしめていた―――――。

   ◇◇◇



「うわああああああああああああ!!!」

 バサリと大きな音を立て、クロノは目覚めを迎えた。
 よく知ったベッドの感触、窓の外から聞こえるこの家特有の喧騒。どれもクロノのよく見知った現実だった。

「……ハア……ハア……ハアっ、夢………?」

 どうか夢であってほしいと思った。クロノのその想いに応えてか、彼の心臓は痛いくらいに早鐘を打つ。

 ドクドクドクドクドクドク。

 全力疾走をした後のように早まる心臓に、クロノはほっとし、息を吐いた。

「……夢だ……」
 夢でなければ、この心臓は動いていない。あたりは血まみれになってもいないし、ましてユーノの死体も、狂ってしまったフェイトもいない。その事実に、クロノは心底安堵した。

「……どんな悪夢だよ……っ」

 クロノは落ち着いて、深いため息を吐く。パジャマが寝汗で濡れて、気持ちが悪かった。
 あれだけの悪夢を見てしまった後では、仕方のないことだったが、悪夢と並んで不快であった。
 自分が不貞を働いて、殺されてしまう。更には、それにユーノが巻き込まれて、狂ったフェイトに殺されてしまう。そんな悪夢と。しかも、ご丁寧になのはと恋をして結ばれて、フェイトに殺され、そこで夢が終わるならともかく、ユーノを通してその後の世界を見続けさせれれるという大長編悪夢だ。
 夢は記憶を整理しているために起こる現象だという。けれども、クロノは勿論、なのはと恋に落ちたことはないし、狂気に走るフェイトなんて考えたことすらなかった―――狂気に走る彼女の実母なら見たことがあるが。
 ならば、夢は願望であるという説か。それもクロノは否定したい。それこそ、あり得ない話であり、心の奥底の願望が現れたなどと診断されても、クロノは首を横に振るだろう。ましてや、友人に死んでほしいだなんて思っていない。

 
 だって、自分は―――。



「はあっ……気持ち悪い……」

どうにも寝汗で濡れた身体が気持ち悪い。下着まで濡れているとは、どれだけだ。それだけの悪夢から解放され、クロノはどっと訪れる疲労感にため息を漏らした。
 折角の休日を休息に使おうと思っていたのに、これではすべて台無しだ。睡眠が、かえって疲労になっている。原因が原因なだけに、クロノは露骨に不快感を示した。

「シャワーでも、浴びるか……」

 そう言って、彼はベッドから降りた。





―――後になって、彼は後悔する。何故、自宅に誰がいるのかを確認しなかったのか。何故、脱衣所にいる人間の気配に気付けなかったのか。


 クロノはぺたぺたと足音をたて、風呂場へと歩いていった。歩くたびに、濡れた衣服が肌に触れたり擦れたりして、不快感は募っていく。
 少しでも早くシャワーを浴びたいと、彼は何も確認せずに、脱衣所のドアを開いた。
 そこで彼が見たものは、小振りな胸を覆い隠す下着。栗色の長い髪と下着と靴下のみを身に纏った――高町なのはの姿だった。

「え?」

 両者の目が見開かられる。クロノが、どうしてここになのはがいるのだろうと思うのと同時に、なのはも何故ここにクロノがいるのかと、疑問を抱く。

「きゃああああっ!!!」

 夢でも聞いたなのはの悲鳴が、クロノの耳をつんざく。当然の反応だ。魔砲少女と言っても、まだ幼い乙女だ。悲鳴をあげるのが普通の反応。
衝撃のあまり、いつまでも視線をそらせないクロノの耳に、更に衝撃が走る。

「いやあああっ!! フェイトちゃああああああん!!!」
「なっ」

 それ何て死亡フラグ。
 なのはは身体を丸めて少しでもクロノの視界から逃れようとしていた。それと同時に、叫び声をあげ、フェイトの名を呼んだ。

 まあ、恋人に助けを求めるのは割と普通のことだ。

 そう思って納得できたら、どんなにいいことだろう。クロノにとっては地獄への片道切符だ。
次の瞬間、クロノの頭部に衝撃が走る。


「クロノおおおおおおおおおおおッ!!!!!」

 ソニックフォームのバリアジャケットを身に纏ったフェイトと、物理破壊設定のザンバーフォームのバルディッシュ。その二つが、自分に迫ってきたように、クロノは錯覚した。
 だが、実際は体操着のスパッツ姿のまま、体育祭で使用したプラスティック製のバットを持ったフェイトが、野球の要領でクロノに打撃を与えただけだった。


 (あれ? 見ていないはずなのに、なのはの裸を見た記憶が……)

 仕事が休みにもかかわらず、義妹の体育祭の応援に行ってやらなかった義兄は、開いてはいけない並行世界への扉を開きかけたが―――結局はそのまま、頭部への衝撃で意識を失った。



   ◇◇◇





「あっははは! 何それっ」
「……笑わないでくれ」
「これが笑わずにいられるー?」

 アースラにおけるクロノの私室にて、女性の甲高い笑い声が響く。クロノは彼女を制止するが、笑い声は止まらない。

「だって、クロノくんがそんなグロくて、昼ドラな夢を見るなんて予想外で…ぷっ、ククククッ」
「僕だって、見たくて見たわけじゃない!」

 腹を抱えてけらけらと笑う彼女に、クロノは思わず声を荒げる。その顔は真っ赤に染まり、正直に話したことを後悔する。
 笑い声の主はクロノの恋人の――エイミィ・リミエッタであった。クロノは事故ではあるが、なのはの下着姿を見てしまったこと、そのなのはと禁断の恋に落ちてしまった夢を見てしまったことを恋人への不貞と考え、罪悪感を抱いてた。その罪悪感に耐えかね、クロノは彼女に白状した。正直、一日も耐えられなかった。
 それが、この体たらくである。

「ごめんごめん。で、なのはちゃんにはちゃんと謝ったの?」
「………フェイトが近寄らせてくれなくて、まだ謝れていない…」

 笑いを堪えるエイミィとは反対に、クロノの表情が、なのはへの罪悪感や義妹への恐怖などで暗くなる。
 なのはの叫び声とともに飛んできたフェイト。スピードブースト系魔法を使ったわけでもないのに、すぐさま飛んできた。それは愛がなせる技だが、クロノにとっては脅威だった。

 あの日、なのはとフェイトの通う中学校では、体育祭が行われていた。体育祭が無事終わった後、砂埃と汗で身体が汚れていた彼女は、フェイトの家の風呂場を借りることにした。そう、クロノはリンディを通して知った。事情を知ったリンディはクロノとフェイトの間に立ってくれようとしたが、数日経っても彼女は腹を立てたままだ。
 リンディ曰く、なのはは何事もない様子だったが、それがかえって痛々しいとのこと。リンディは早く謝ってねと軽く言ったが、フェイトという前衛がいるため、なのはに近づくことすらできない。

「あははは、じゃあ、明日以降になのはちゃんと引き合わせてあげるから、ちゃんと謝るんだよ?」
「あ、ありがとう……」

 これだから、彼女に頭が上がらない。やきもちの一つも焼いてくれないエイミィに、少々ショックを受けたが、こうやって気遣ってくれることが、クロノにとってはありがたかった。
 ほっとしたのか、クロノは彼女の身体を自分の方に引き寄せ、額にキスを落とす。

「なのはちゃんに謝ってもいないのに、普通、こういうことする?」
「……くっ…」

 限りなく裸に近い状態のなのはを見てしまった後に、自分は呑気に恋人と同衾。それに加えて、キスまでとは。反省の色が全く見られないと判断されても仕方のない状況だ。


「悪いお兄ちゃーん」
「そんな悪いお兄ちゃんを選んだのは誰だ?」
「そうだね、姉弟みたいだったのに」

 クスクスと笑い、頬にキスをするエイミィの言葉に、クロノはちょっと傷ついた。また微妙に弟扱いされた気がする。ナイーブなオトコノコの心を、彼女は理解してくれない。

「初恋から、ファーストキスまで知ってるクロノくんとこんな関係になるなんて、やっぱり変な感じだね」

 ザクリ。

 さらりと、クスクスと笑いながら、またクロノが傷つくような言葉を彼女は口にした。ファーストキスを師匠であるリーゼロッテに奪われた挙句、それをエイミィが見ていたという事実に嘆くクロノを知っているというのに―――けれども、初恋とは。


 初恋?


 クロノはエイミィの言葉に首を傾げた。自身の初恋なんて、記憶になかった。あえて言うならば、記憶に残らないくらい小さなころに母にしたのか。それとも今、自分が抱きしめているエイミィに対してではないのかと、クロノは考え込む。そんな彼の考えが顔に出ていたのか、エイミィはあっさりと答えを口に出した。


「え? なのはちゃんにでしょ?」
「は……?」

 クロノは驚きに目を見開いた。エイミィは何を言っているんだろう。困惑するクロノをよそに、エイミィは言葉を続けた。

「なのはちゃんのことを好きだったから、ユーノくんのことをいびってたんでしょうが……」

 恋敵だったしねと、彼女は笑う。まだまだエイミィの攻撃は続く。

「なのはちゃんには失礼な話だけど、夢とはいえ初恋の相手とラブラブになれて良かったね」
「なっ!!」
「な?」

 エイミィの言葉がクロノの心を抉った。彼女の言葉はクロノの心なんて無視していた。

 自分がなのはに恋をしていただと?

 いきなりの言葉に、混乱せずにはいられない。だが、反対に冷静になる自分もいるのだ。
 クロノの頭が、過去の記憶を想起する。なのはの言葉にいちいちドキリとしていたこと。もしかして優しいと言われて頬を赤く染めていたこと。そして、ユーノに対する苛立ちの正体―――たとえ、実際の恋敵が義妹であったとしても。

「……っ!!」

 クロノの中で合点がいってしまった。彼の顔は真っ赤に染まり、クロノは叫びあがりそうになる自身の口元を手で押さえた。

「ちょっと、クロノくん!?」

 どうしようもなく逃げたくなって、クロノは着替えだけと待機モードのデュランダルを引っつかみ、部屋から逃げてしまった。
 部屋に残ったのは、クロノの初恋を知っている彼の恋人だけ。後は気まずい沈黙だけだ。



「ま、まずいこと言っちゃった?」


 鈍い鈍いと思っていが、まさか自覚がなかったとは。
 エイミィは苦笑いをしながら、そっとクロノのベッドに顔を埋めた。
「……まいったなあ……」





―――この日、クロノは数年越しにして初めて、自分の終わってしまった恋心を自覚した。




   ◇◇◇



「だからって、何で僕のところに通信を入れるわけ?」
「君しかいなかったからだ……」

 無限書庫の一角で、クロノの悪夢に特別出演をはたしていたユーノは苛立たしげに口を開いた。通信の相手はクロノ。顔を真っ赤にして、慌てた様子だ。髪の毛は若干跳ねていて、寝起きのようだ。だらしがない。
 仕事の邪魔をされたユーノは、クロノの返答に更に苛立ちを募らせた。

「それで? 元恋敵である僕にそれを言うんだ」
「…ぐっ」

 ユーノは忙しなく検索魔法をかけながら、クロノを責め続ける。忙しいユーノに映像通信を繋げたクロノの話はこうだった。

 自分の初恋がなのは相手だというのは本当なのか。

 彼は真っ赤な顔をして、ユーノに聞いてきた。正直、ユーノはこの言葉を聞いた瞬間苦虫を噛みしめたような顔をした。
 知るか。温厚で優しさに定評のあるユーノにしては珍しく、そんな悪態を吐きかけた。クロノがなのはのことを好きだったとは知っているが、初恋かなんてのは知ったことではなかった。
数年前まで恋敵だと思っていた男は、その恋心に全くもって自覚がなかったのだとユーノはこの時はじめて知った。
だったら、何で自分をあれだけいびってきたのかと、ユーノは小一時間問いただしたくなる。ユーノが第97管理外世界の人間だったら、お前は小学生かとツッコんでいたところだ。はやてかヴィータあたりだったら、シュベルトクロイツ、またはグラーフアイゼンで物理的にもツッコんでいただろう。どちらも鋭角が痛い。

「で、どうして今更気付いたの?」

 ユーノの攻撃はまだ続く。ずっとユーノのターンだ。クロノは混乱のあまり、あわあわと悶えている。これでは会話が成立しないのだから、映像通信ではなくメールで連絡すれば良いものを―――そう考えるあたり、ユーノは優しかった。ただ突き離すのではなく、ちゃんと話は聞いている。
 そんなユーノに対してのクロノの返答はあまりにもアレだった。


「………エイミィに言われて……」

 うわ、最低だ。


 ユーノは口に出さなかったが、心の中で呟いた。自覚のなかった恋心を、その恋の相手ではない、今の恋人に指摘されるとか、どんだけ駄目男だ。
 クロノことだ。大方、エイミィに指摘されて、そのまま現在に至るのだろう。ユーノは現場を見てきたわけではないのに、クロノの行動を正確に当てていた。伊達に付き合いが長いわけではない。
 不器用な彼のことだ。どうせフォローなんて入れていない。恋人の無自覚の初恋を指摘する女性の心境なんて、少し考えればわかるだろうに、彼は自分のことで手いっぱいだ。

(あ、でもエイミィさんだしなあ……)

 ユーノはエイミィに少し同情したが、すぐに思いなおす。クロノとエイミィが恋人同士になったと、フェイトから嬉々として教えられた時も信じられなかった。あまりにも前触れがなく、それに加えクロノがかつて好きだった少女を知っているからこそ余計に。
 明るくて、元気で――そんなところはなのはと共通しているが、クロノをぐいぐいと引っ張っていくところや、あっけらかんとしているところは、彼女とは全然違う。ユーノは正直本当に彼らは付き合っているのかと疑うほど、エイミィは以前と変わらない態度でクロノに接しているように見える。
 以前、こうして相談めいた通信を入れられた時も、やきもち一つ焼いてくれないとクロノは呟いていた。義妹であるフェイトと、兄妹とは思えないほどイチャイチャしている様もスルー。件のなのはと仲良くしていてもスルー。仕事とはいえ、はやてと一夜を明かしてもスルー。カリムと仲良くお茶をしていていもスルー。ヴィータやシグナムと談笑していてもスルー。ユーノがクロノに対して少々同情するくらい、さっぱりしている。

 ならば、彼女に対してフォローを入れるより、本人の気持ちを整理させる方が早いように思えた。

「もう……そんなに悩むんだったら、いっそなのはに告白してくれば? そうすればすっきりするかもよ」
「なっ」
「ウザいし、仕事の邪魔。大体、僕がこんなに忙しいのは君のせいなんだから……じゃ、そういうことで」

 ブツン。

 ユーノは問題発言をして、一方的に通信を遮断した。これでやっと仕事に集中できる。クロノに頼まれた調査だというのが腹立たしいが、仕事は仕事だ。


 なのはの最大の理解者であり、彼女にいまだ恋心を抱いている少年は、別の検索魔法を発動させる。その仕事に私情が入ることも、元恋敵の悩みに動揺することなく、的確に仕事に励んだ。


「はあっ……なのはも鈍いけど、クロノがあんなに鈍かっただなんて……」


 予想外だと、彼は呟いた。





   ◇◇◇




「なのははわたしが守るからね!」
「フェイトちゃん、大丈夫だから……」
「クロノがなのはに近づこうものなら、こう、ドッカーンって!」
「もうっ、フェイトちゃんてば……クロノ君に悪気がなかったって、リンディさんから聞いたでしょ?」
「だって……」

 クロノが衝撃の事実を知った翌日。なのはとフェイトは二人並んで時空管理局本局のある通路を歩いていた。たまたまそれぞれの仕事が終わる時間だったため、待ち合わせをし、今帰路に就こうとしている。その様子は可愛らしい少女たちそのものだったが、いささかフェイトの発言は不穏である。

「わたしも、そんなに気にしてないし……フェイトちゃんが怒ってくれるのは嬉しいけど、クロノ君に怪我させちゃ駄目だよ」

 なのはは本当に気にしていないという様子で笑っている。それが他人にはかえって痛々しく見えた。まだ幼い彼女が男性に下着を見られたというのは、一般的にショックの大きいものだと思われる。なまじ世の中には児童ポルノというものがあるため、余計に周りは過敏になる。
けれども、なのは本人は本当にあまり気にしていないのだ。気にしていないという事実に、本人も少々驚いている。強がりではなく、本当に。
深く追求すると、何か開いてはいけない扉を開いてしまいそうで、なのははそれ以上考えようとはしなかった。
 フェイトはいまいち納得していない様子で、なのはは困っていた。どうしたら機嫌を直してくれるのか、どうしたら兄妹喧嘩に発展しないか。
 そんなことを考えているなのはに、映像通信が入る。

「なのはちゃん? ちょっと良い?」
「エイミィさん」

 相手はエイミィだった。彼女の姿を見た途端、フェイトがしょんぼりしだすのを、なのはは横目で見ながら、平気ですよと笑った。

「忙しいのにごめんね。良ければ、なのはちゃんに今からアースラに来てほしいんだ」
「アースラに?」
「うん。クロノくんが謝りたいんだって」

 なのはの横で、フェイトがビクリと反応するのが見えた。なのはもエイミィもフェイトの反応に苦笑いをした。

「フェイトちゃん、少しはクロノくんのこと、許してやって」
「でも……」
「本当に、わざとじゃなかったんだよ。それはお姉さんが保証する」
「あはは、すごい説得力」

 まだクロノを許せそうにないフェイトに、エイミィはフォローを入れる。わざとではないことはフェイトもわかっていた。それでも、感情がついていってないようだ。
 わざとというか、故意になのはの下着姿を覗こうとしたわけではないと、クロノの恋人であるエイミィが言う。その説得力は大きいのか、フェイトの表情は少し明るくなる。

「うん、クロノはずっとエイミィのこと好きだもんね」
「あ、あはは……フェイトちゃん、そういう恥ずかしいことは言わないで」
「そうだよぉ、クロノ君、照れちゃうよ?」
「でも、本当だよ? エイミィだって、クロノのこと好きだし……」
「フェイトちゃん、恥ずかしいからそれ以上言わないで!」

 色々な意味で姉のような女性の言葉に、フェイトは急速にいつもの表情を取り戻していく。同時に恥ずかしい言葉を吐いて。
 クロノが照れる前に、まずエイミィが少し照れていた。聞いているなのはも少し恥ずかしい。そんな二人に対して、フェイトは本当のことなのになと小さく呟いた。

「……って、話が逸れたけど、なのはちゃん。大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ?」
「OK! じゃあ、転送ポートの準備はしておくから、よろしくね!」

 元気なエイミィの声とともに、通信は途切れた。いつもと変わらぬ声、いつもの表情。それに加えて、いつもと変わらぬ言葉を口にするフェイトに、なのははほんの一瞬だけ寂しそうな表情を見せ、またいつもの顔に戻っていった。



続く

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