◇◇◇


「はあ……」

 アースラの一角にて、クロノは深いため息を吐いていた。ほぼ徹夜状態で仕事をしていたクロノはいまだ悩んでいた。

『もう……そんなに悩むんだったら、いっそなのはに告白してくれば?』

 相談めいた通信を入れた相手に、あっさりとそう言われてしまった。その相手と言うのが、いまだなのはに恋をし続けている元恋敵だというのが笑える話だが、今のクロノには笑えなかった。
 今更、彼女に恋をしていたと伝えることなんて、できるわけがない。だって、今の自分は別の女性に恋をしているのだから、これ以上の不貞は働けない。働くつもりもない。
 けれど、いつまでも心にもやもやとしたものが残るのだ。


「何で、なのはなんだ……」
「わたしがどうかしたの?」

 そんな、彼女に対して失礼なことを呟いた途端、背後からなのはの声がした。ギクリと、彼の肩は大きく上下し、クロノは恐る恐る振り返る。振り返ってみると、キョトンとした顔のなのはがいた。彼女の顔を見た途端、やっと赤みが引いた頬がまた赤くなっていくのを感じる。
 恥ずかしいのか、それとも当時の恋心がまた胸に宿ってしまったのか、彼の心臓は早鐘を打つ。

「クロノ君?」

 夢で見た可愛らしさそのままに、なのははクロノを見上げた。その姿に、また心臓は早くなる。
 
「どうしたの?」

 首を傾げる様にまでドキドキする。マズイ。これはマズイと、クロノは後ずさる。

「クロノ君?」

 なのはは首を反対に傾げながら、クロノのアンダースーツの裾を掴む。その行動に、クロノの心臓は限界を迎えた。
 なのはの指から無理やり衣服を引っ張り、彼女から離れた。クロノはタッと走りだす。なのはが何度か彼の名を呼んだが、クロノは振り返らなかった。これではまるでただの恋する少年だった。





(最悪だ…っ…)
 おそらく、彼女はエイミィに言われて彼のもとに来たのだろう。何も謝れないまま、彼女から逃げてしまった。
 謝罪をしなければいけない相手から逃げてしまった。その上、顔の赤みが引かない。鼓動も早い。戻らなければいけないと思いながら、平常心を取り戻せずにいた。そんな時に、よく聞きなれた声がクロノの耳に届き、彼は再び肩を上下させた。

「クッロノくーん! ちゃんと謝れたー?」
「…エイミィ……」

 テンションの高い声音のまま、エイミィはクロノに近づいた。動こうとしないクロノのそばに彼女がたどり着くのはあっという間であった。
 あまりにもタイミングが良すぎた。それがいけなかったのだ。

「……謝れなかった……」
「えー!? 何でー!?」

 俯いたクロノに、エイミィは詰め寄る。
 ちゃんとフェイトを引き離して、謝れるようセッティングしたのにと、彼女は言った。エイミィの気づかいだったが、それを素直に受け入れられない感情がクロノの中に渦巻いていた。

「………どうして……」
「え、何?」

 これが八つ当たりだと、心の中で気付いていた。それでもクロノは口にしてしまった。

「どうして、僕がなのはを好きだと当時言ってくれなかったんだ…?」
「どうしてって……」
「言ってくれれば、今頃……」

 そこまで言って、クロノは己の失言に気付き、口元を押さえた。恐る恐る顔を上げると、エイミィの瞳が冷ややかなものに変っていた。
 恋人の初恋の相手を知るエイミィ。その相手は彼女ではなく、よく見知った少女。自分の気持ちも気付いていなかったクロノの口から出た言葉は、フォローでもなく、誤解を招くような言葉。クロノとしてはそんなつもりはなかったが、彼女との関係を否定している取れる言葉を口にしてしまったのだ。

「へえ……」
「待ってくれ、エイミィ……今のは……」
「そんなに、なのはちゃんのことが好きなんだ?」
「違……っ」

 咄嗟に彼女の手を取ろうとしたが、パシンと音を立てて跳ね返され、拒絶される。
 『好きだった』ではなく、『好きなんだ』。まるで現在進行形でなのはのことが好きだと言われているようで、クロノは顔をしかめた。だが、先ほどまでの赤い顔では説得力の欠片もなかった。
 ほんの数秒の沈黙の後、すぐに彼女は普段の表情を取り戻す。クロノはホッとするが、次に聞こえてきた彼女の言葉に心砕かれる。

「クロノくん……恋敵はフェイトちゃんっていう強敵だけど、頑張ってね。お姉さんは応援してるよ」

 いつものお姉さんぶった言葉はクロノに軽いショックを与えるが、その代わり優しいものであるが、これはそんなものではなく、ただ彼を傷つけるものだった。ただの拒絶だ。
 もうクロノの言葉なんて聞きたくないと、彼女は踵を返した。

「エイミィ! 待ってくれ!」
「ん、何?」
「今のは……」

 今度こそ彼女の手を取ったが、エイミィの表情は変わらない。以前と変わらない。

「もうっ、クロノくんが腑抜けてるからちっとも仕事進まないんだよ? しっかりしてよ、クロノ執務官?」

 そう言って、取りつく島もなく、クロノの手を払いのけた。
クロノの鼓動は先ほどとは別の意味で早まる。あの悪夢を見たときのように、心臓が痛いほど鳴り響いている。今の状況より、あの悪夢の方が幾分かマシに思える。何せあちらは夢で、こちらは現実だ。夢はなかったことにできても、現実は、彼女を傷つけることを言ってしまったという過去を変えることはできない。

「エイミィ……!」
「ほら、仕事仕事!」

 そう言って、エイミィは必死になるクロノの背を押した。クロノの言葉を聞こうとしない。言い訳も、何も聞いてもらえない。
 自分の言葉が原因とはいえ、クロノの心はズキズキと痛んだ。





 それから、二日――。
クロノは表面上は何も変わらず、仕事をしていた。落ち込むことは立場上許されない。ユーノから調査結果を受け取り、事件の解決について話し合い、検討する。その間も、エイミィはクロノの隣にいた。いつもと変わらない表情で、クロノの仕事をサポートしていた。これで少しは解決に迎えることができると、安堵した。
 だが、その内面はどうだろう。表面上は何も変わらない。軽口もきく、冗談だって言う。フォローだってしてくれる。けれども、あくまでも表面上の話だ。


―――数日前と決定的に違うのは、彼女の心がクロノから離れてしまったということ。


 感覚的に気付いた事実に、クロノは愕然とした。もう、恋人として接するつもりはなく、角が立たない程度の関係だと偽るほどに嫌われてしまったのだと、気付いてしまった。未練なんてないほどに、すっぱりと離れて行ってしまえるほどに。


 休息を取る時間になって自室に戻ると、仕事中とは打って変わって気持ちは暗くなる。
 ほんの数日前まで、情を交わし合っていた相手が眠っていた自分のベッドに腰を降ろし、クロノはうなだれる。
エイミィと同衾して、眠りに就いたこの場所。時間を合わせて、一緒にいる時間を設けたこの場所。もう、熱なんて残っていないと知りながら、触れたシーツは冷たく、クロノの心に虚しさが去来する。
クロノとの間に一線を引いたエイミィが、再びこの場所で眠ることはないのだと思うと、寂しさと悲しさだけが胸に落ちる。自分はまだ彼女のことが好きだが、彼女にとって自分はそうではない。


「エイミィ……」

 未練がましく、彼女の名前を呼んで、奥歯を噛む。頬に涙が伝えば、どれだけマシであろう。
実際は、涙なんて出なかった。ただ苦しいだけで、それを吐きだすすべをクロノは知らなかった。心の中にため込んだまま、昔のように俯くことしかできなかった。一人で前を向くことができないだなんて、どれだけ自分は彼女に頼り切っていたのだろうと、己の情けなさに途方に暮れる。
 ユーノに相談しようと思っても、通信を拒否された。彼は誰にも言えないまま、ただ苦しんだ。
 そんな時、クロノの部屋のドアが主の了承も
得ずに勝手に開かれる。クロノ以外で、そんなことができるのはただ一人―――エイミィだけだと、クロノは顔を上げた。


「クロノ君、ごめんね。勝手に開けたりして……」
「なのは……」

 クロノの期待をよそに、彼の瞳に映ったのはなのはの姿だった。左頭部に一つ結びした長い髪。まだ成長期の最中である小さな身体。そんな身体に不釣り合いな管理局の制服を身に纏ったなのはは困ったような顔をして、クロノを見ていた。

「クロノ君、ごめんね」
「何回も謝らなくて良い」
「……あのね、わたしが謝りたいと思ってること、多分クロノ君が思ってることは違うと思うんだ」

 なのはが何回も繰り返し、頭を下げるものだから、クロノは制止した。どうやって開けたのかは気になるが、傍から見てぼんやりしていただけだから問題はない。そう思って口にしたのだが、なのははフルフルと首を横に振る。どうしたのだろうとクロノが様子を伺うと、なのはは苦笑いをしながら再び口を開く。

「あの……エイミィさんに、わたし、全部聞いちゃったの……」
「………は?」

 なのはの口から出たエイミィの名に一瞬だけ動揺して、一瞬の間の後、彼女の言葉に目を丸くした。
 全部とは何を指しているのだろう。もしかして、もしかしなくとも。

「えっと………クロノ君の初恋のこととか……」
「……っ」

 初恋。その言葉を口に出されて、クロノはビクリと大きく肩を上下させる。一番知られたくなかった相手に知られてしまった。しかも、エイミィの口からという点が、クロノを余計に落ち込ませる。

「ごめんね! その…聞くつもりはなかったんだけど……」
「……そうか……エイミィは気がきくな……」
「クロノ君?」

 こんなことまでお膳立てか。謝る機会を与えてくれたことには感謝していた。それをぶち壊したのは自分自身であったが、なのはとの仲をお膳立てされたいとは思っていたなかった。あの時の言葉だって、もっと前に自分の気持ちに気付いていて、気持ちの整理がついていたなら、謝る機会を失わずに済んだと言いたかっただけだった。
 誰に言うわけでもない皮肉を口にして、クロノはなのはではなく遠くを見た。視線は彼女に合わせていたが、事実としてはなのはを見ていたわけではない。ここにはいない誰かに。

「なのは……あの時はすまなかったな。確認もせず、ドアを開けてしまったのは僕の方だったな……」
「あっ、うん。大丈夫、気にしてないから」

 なのはの言葉に、クロノはホッとした。不思議と彼女の前で、穏やかでいられる。あの時のように心臓はドキドキしたりせずに、視線だけは彼女に合わせることができる。ひどく穏やかな―――いや、冷めた心でいた。
 なのはがクロノも気にしなくても良いと言うと、クロノはそうかと一言呟いて、彼女から視線を逸らす。彼女への罪悪感ではなく、なのはを直視できないという身勝手な理由で。なのはは一切悪くないが、今彼女の目を見たら、また八つ当たりをしてしまいそうで、クロノは怖かった。

「クロノ君、エイミィさんと何かあったの?」
「……君には関係ない」

 ほら、やはり八つ当たりをしてしまった。気遣ってくれたなのはの気持ちを無下にする言葉を、クロノは口にした。自分の言葉に、クロノは後悔する。自身の失恋に、五歳も年下の少女に八つ当たりをするなんて、女々しいにもほどがある。
 クロノは息を吐いて、なのはに再び謝ろうとすると、彼女の手が彼の手を優しく包む。そして、じっとクロノをまっすぐな目で見つめた。

「関係なくないよ。わたしと、クロノ君は友だちだよ?」

 なのははクロノの手を引き、お話を聞かせてと言った。
クロノはなのはの言葉にハッとする。なのはは、クロノの言葉で傷つくほど、弱くはない。まっすぐ相手の目を見て、ちゃんと相手の話を聞こうとするのだ。
 クロノは今更ながら、どうして自分がなのはに惹かれたのかを自覚する。彼女の強さに惹かれたのだと、それが恋だと知らぬ間に終わってしまった自分の恋心のきっかけを、ようやく知った。

「なのは……」
「お友だちが悲しいと、わたしも悲しいの………だから、ね?」

 フェイトがかつてなのはに言った言葉と同じ言葉を、彼女は口にした。クロノは彼女の言葉に、何か吹っ切れたような顔をする。
 クロノは悲しさを吐きだすすべを、少しだけ知った気がした。




   ◇◇◇


「何で? だって、クロノは……」
「何でって……クロノがなのはを好きだったのは事実だよ」

 ここは無限書庫の一角。閃光のような金の髪の少女は、蜂蜜色の髪の少年にしがみついていた。
 少女はフェイト・テスタロッサ・ハラオウン。少年はユーノ・スクライアだった。美少女と美少女を見まごう美少年が並んでいて、傍から見るとなかなかの目の保養。場合によっては可愛いカップルと見間違われそうだが、実際は二人は現役の恋敵であった。
 クロノの無自覚の八つ当たりを受けたユーノはやはり忙しなく検索魔法を実行していた。それに加え、司書たちの指示、弾き出されたデータの検証エトセトラエトセトラ―――これらは全部、フェイトの義兄・クロノの八つ当たりに対する結果であった。

 どうやらエイミィと一悶着あったらしいクロノは、表面上は普段通りの仏頂面であったが、内面はひどく荒んでいた。なのはに対しての八つ当たりは自覚あるものだったが、こちらの年若き友人に対する八つ当たりは無自覚だった。さすが、自覚がなかったというのに恋敵をいびった男である。

 エイミィの暴露によってすべてを知ったフェイトは混乱したままユーノのもとへと詰め寄った。クロノの初恋の相手がなのはとは本当なのかと、フェイトはユーノに問う。
 数日前、ほぼ全く一緒の質問を彼女の義兄から受けたのは気のせいか。気のせいではなかった。ユーノは心の中で呟いた。ユーノの恋心に気付いていながら、こういう質問をするとか、兄妹そろって何なのだ。しかも、クロノなんて、なのはとフェイトの仲を知る前には、応援しているなんてバカなことを口走っていた。フェイトはユーノの気持ちを知りながら、彼の気持ちを尊重して、なのはには伝えなかった。血が繋がっているわけではないのに、何でこの兄妹はこんなに似ているのだ。
心の中だけで済ますのは、ユーノの優しさだった。彼にも友人を心配する心はある。


 フェイトはユーノの考えてることなど察することなく、あわあわと混乱していた。あれ?とか、クロノはエイミィが好きなのにとか、そんなことをしきりに呟いている。
 フェイトはユーノという恋敵の気持ちには気付いているが、クロノという元恋敵の恋心には気付いていなかったらしい。だからこそ、こうやって突然の恋敵の出現に混乱している。よりにもよって義兄が恋敵であっただなんて、そうないことだろう。混乱する気持ちはわかる。
 ただ、ユーノの仕事の状況を考えてほしかったが。

「フェイト……僕は仕事があるから、言いたいことがまとまらないならメールで……」
「なのはがクロノのとこに行っちゃって……どうしよう、何かあったら……」
「人の話を聞いてー!?」
「クロノ……エイミィと喧嘩してるみたいだし、なのはは可愛いからついクロノがクラッとかなったら………!」
「ねえ、人の話聞いてる!? ていうか、クロノ信用ないの!?」

 全くもってユーノの言葉を聞いていない。恋する乙女は止まれないのだ。恋は闇と、よく言ったものである。フェイトはあわあわと混乱しながら、ぐっとユーノの腕を掴む。ユーノがまさかと思った、次の瞬間――――彼の姿は無限書庫から消えていた。




   ◇◇◇



「エイミィさんにフラれてしまったと……」
「ああ…」

 人通りの少ない、アースラのある通路で、クロノとなのはは立ち話をしていた。
 しょんぼりと肩を落とす様が情けない男が、この艦の実質ナンバーワンだ。彼のこんな姿を見て良いクルーは、エイミィかフェイトくらいなものである。
 人目を避けて、人気のない場所を選んだが、一歩間違えば密会と誤解されてしまいそうだが、そんな意図はなかった。その実態は五歳も年下の少女に恋愛相談をする執務官という、何とも言えないものだ。

「クロノ君……何でエイミィさんがそんなことをしたか知ってる?」
「………僕が、関係を否定していると取れる言葉を言ったからだろう……」
「あ、それはわかってるんだね」

 グサリ。

 なのはの情け容赦もない発言に、クロノの心は抉れる。初恋も気付けない男なのにと言われているようで、心が痛い。
 なのははクロノの心の痛みなんて気にする様子もなく、話し続けた。

「うん、エイミィさん、すっごい怒ってたよ。クロノ君のバカー! って」

 それこそ、七歳も年下の少女に愚痴を言うくらいに。ついでに、フェイトにも愚痴ついでに、クロノの初恋を暴露していた。

「でも、怒ってるってことは、嫌いになったわけじゃないってことだから……」
「それが原因で、嫌いになったかもしれないだろう…?」

 最初は好きだからこそ怒っていたかもしれない。だが、なのはに愚痴を言った後に、嫌いだと思われたかもしれない。クロノの表情が暗くなると、なのはの顔は呆れ顔に変わっていく。

「じゃあ、どうして、わたしにクロノ君のところに行くように言ったの?」
「……は?」

 クロノはなのはの言葉に驚く。ほんの少しの間呆然とするが、またすぐに暗い表情へと戻っていく。そんな言葉を聞いたら、自分の都合の良いように解釈してしまう。それが嫌だった。

「エイミィさん、言ってたよ? クロノ君、きっと落ち込んでるから、慰めてあげてって」
「それは……」
「本当にクロノ君のこと嫌いだったら、きっと心配なんてしない。だから、クロノ君はエイミィさんに嫌われてなんかないよ?」

 嫌われていない。今のクロノには、なのはの言葉が都合の良い幻聴に思えた。なのはは本当のことを言っているだけだが、心が引きちぎれそうになるほど苦しんだクロノは、彼女の言葉をすぐには信じられなかった。

「大丈夫だよ、クロノ君」
「………不安なんだ…」
「不安?」

 にこりと微笑むなのはとは反対に、クロノは暗い表情のままに、ポツリポツリと、彼女の言葉を信じられない理由を呟いていった。

 恋人同士になっても、エイミィが自分を弟扱いすること。初めてのキスの相手はエイミィではなく、別の女性で、それを彼女に見られていたこと。クロノ自身、今回初めて知ったことだが、初めて恋をした相手が、物心つくかつかないかの幼いころに母にしたとか、エイミィにではなく、今目の前にいるなのはだったこと。それに気付いたのは、エイミィの言葉であったということ。

彼女の中では、いつまでも自分は弟のような友人であったらという不安。できれば、恋人と重ねていきたかった想い出が、彼女以外の女性相手であった自分に、彼女が呆れてしまうのではないかという不安。

 もしも、彼女が恋人関係を解消して、友人に戻りたいと言い出したら。
 もしも、別の女性との関係から、嫌われてしまったら。


 ずっと心に抱えていた不安。それを今回の件で、激しく揺さぶられた。
エイミィを好きだと思わなければ、こんな不安は抱かなかった。苦しくても、友人であったころの思い出が大切であっても、今の関係を壊したくないと、心底思っていた。
 ほんの少しの自分の間違いが、その不安に直結しているのだと、思い知らされたのだ。

 クロノの話をずっと聞いていたなのはは、深く息を吸い、吐きだした。穏やかな表情であったが、どこか寂しげな視線。まっすぐ、クロノの目を見つめて、なのはは口を開いた。

「わたしと、おんなじだ」


 そう呟いて、なのはもクロノのように、ポツリポツリと呟いた。


 クロノが知っているように、なのははフェイトが好きだ。友情ではなく、恋愛として。反対に、フェイトもなのはを好きだった。

「わたし、一度墜ちて……その時、はじめてフェイトちゃんが好きだって気付いたの……」

 勿論、友情としてはもっと前から。ジュエルシード事件が解決する前から、なのははフェイトのことが好きだった。

「目を覚ました時に、フェイトちゃん、泣いてた………でね、そんなフェイトちゃんを見て、わたし気付いちゃったんだ」

 フェイトが好きだと。彼女を泣かせたくない、悲しませたくない―――自分のために泣いてくれるフェイトを、誰にも渡したくないと。
 なのははそう言った。フェイトもそれを受け入れて、好きだと言ってくれた。
 悲しませたくないと言いながら、心配するフェイトの反対を押し切って、なのはは再び空へと戻っていった。それでも、フェイトは自分を好きでいてくれた。それがすごく、嬉しかった。


「フェイトちゃん、よく言ってるんだ……エイミィはずっとクロノのこと好きだよ、って」
「ああ」
「でも、クロノ君とエイミィさんって、友だちだったでしょう?」

 それがなのはの不安だった。フェイトは自分を好きだと言ってくれてる。だが、それは本当に自分と同じ『好き』なのだろうか。
 彼女には友情と恋愛の『好き』の区別があるのだろうかと、疑ってしまう自分がいるのだ。それは、薄々クロノも感じていた。だからこそ、彼はなのはとフェイトの関係を複雑に思っていた。
特殊な環境で育ったフェイト。彼女を生み出したプレシアは、フェイトにとって姉にあたるアリシアが幼いころに離婚してたと、調査資料に書いてあった。子どもにとって、一番身近にある『恋愛』の見本は両親である。彼女は父親を知らない。それどころか、プレシアを母と呼んでいいのか、アリシアを姉と呼んでいいのかすら、判別が難しい。
 そんな彼女が、果たして友情と恋愛の区別がつくのだろうか。ついていないから、『エイミィはずっとクロノのことが好き』だと言っているのではないかと、なのはとクロノは心のどこかで思っていた。

「正直ね……わたしも、フェイトちゃんを友だちとして好きなのか、恋愛として好きなのかわからなくなるときがあるんだ……」

 フェイトのことを好きだと思う。けれど、大好きな友だちだと感じる瞬間というのが、日常には存在する。
 なのははそれが怖かった。自分だって、友情と恋愛の区別がついていないのに、やはり区別がついていないフェイトにこれは『恋愛』であると嘘を吐いているのではないかという不安。

 それをフェイトに気付かれてしまったら。もし、フェイトが自分に対している感情が友情だと気付いてしまったら。なのはが自分を騙していると気付いてしまったら。


「嫌われたくないんだぁ……」

 友情であろうと、恋愛であろうと、なのはがフェイトを好きでいることには変わらない。でも、フェイトはどうだろう。それが恋愛であると嘘を吐いたなのはを好いたままでいてくれるのか。



 それが、なのはの抱いている不安だった。


 クロノと同じく、今ある幸せを手放したくない。相手が大切だから、嫌われたくないと思っている。
 もし、不安が現実になったらどうしようという不安が、なのはの中にも渦巻いていた。今回の件で、それは顕著になった。フェイトが、クロノたちのことを言及すればするほど、なのはの心は締め付けられていた。それでも、彼女は心が折れたりしないのだ。

 そんな彼女を見て、クロノは静かに、そして力強く断言した。

「フェイトが君を嫌うわけないだろう?」
「ふふっ、クロノ君がそれを言う?」

 慰めに来たはずのなのはを、クロノが慰めようとしているのがおかしくて、彼女はわずかに笑った。
 でも、どことなく安心している自分がいると、なのはは感じた。

「妹のことだから、わかるさ。僕とフェイトは兄妹だからな」
「あはは、すごい説得力」
「だろう?」

 なのはの表情も、クロノの表情も、少し明るくなる。友だちと悲しみを分かち合って、支え合う。ただそれだけだったはずなのに、何故だろう。どこか力強く思えたのだ。

「僕だって、君のことが好きだったさ」
「あ、浮気?」
「からかうな」

 なのははクロノの言葉に、わざとおどけて見せた。今の彼に、自分を想う気持ちはない。そんなこと、彼を見ればわかっていた。

「ごめん、ごめん。でも、ありがとう……クロノ君」
「ああ……」

 クロノも何故か清々しい顔をしていた。
 気付かずに終わってしまった淡い恋心が精算できずに思い悩んだ。エイミィに、とんでもない失言をしてしまった。そのことで、ひどく苦しんだ。
 だが、今は違う。なのはとの間には確かに友情があって、エイミィが自分を嫌っていないという彼女の言葉が、嘘ではないと信じられる。同じ痛みを知っているなのはが、嘘を吐くわけがないとわかったのだ。


「エイミィに、謝りに行こうかな……」
「一緒についていってあげようか?」
「いいさ。君と行ったら、誠意がない」
「だよねぇ」

 まだ艦橋にいるだろうエイミィのもとへ歩き出そうとするクロノに、なのはがクスクスと笑う。
 その笑顔は優しく、クロノを安心させるものだった。心強い友人がいたものだ。





   ◇◇◇


「フェイト……僕は仕事が忙しいんだけど」

 君の義兄のせいで。
 言おうとしたユーノの言葉をフェイトが遮る。

「だって、はやてがいなかったから…!」

 夜天の主は絶賛お仕事中である。同じくお仕事中であったユーノは、相談に来ていたフェイトにまんまと拉致され、気がつけばアースラに連れ込まれていた。
 フェイトはパワフルにも、艦橋にいたエイミィの腕をも引っ張って、クロノたちを追った。バレないようにこっそりと、でも大胆に、彼らの姿が見える壁際に居場所を置いていた。
 ある程度距離があり、声は聞き取れない。陰に隠れて、二人の様子を覗き見るというのは良い趣味とは言えないが、そうせざるを得ない心情がフェイトにはあった。
 ユーノは事情を知りながら、そんなフェイトの様子を呆れて見ていた。同時に、変に穏やかな顔をして二人の姿を見つめるエイミィに、ため息を漏らした。

「エイミィさん、クロノのどこが良いんですか?」

 何だかんだ文句を言いながら付き合っているユーノとは違い、エイミィは最初から大人しくフェイトに着いてきた。その理由は、クロノが不安に思うほど、エイミィの想いは小さくないからだと、ユーノは何となく察していた。だからこそ、ため息が出た。
 あんな仕事だけできる駄目男どこが良いんですかと、暗に言っているユーノに、フェイトは不満そうな視線を送る。なのはが絡むとクロノに対しても攻撃的になるフェイトだが、本当はお兄ちゃん子だ。むくれるフェイトをよそに、エイミィィはあっけらかんと答えた。

「ほんと、どこが良いんだろうね」
「エイミィさん……さすがにそれはクロノが不憫なので、クロノの前で言わないでやってください……」

 クロノから、やきもちも焼かないと聞いたけれど、そこまで言ったら、クロノを友人だと思っていても小憎らしいユーノでも、さすがに不憫に思えてくる。本当に言いかねないエイミィの姿に、ユーノは不安を覚えた。そんなユーノに、フェイトは抗議の声をあげる。

「でも、エイミィは本当にクロノのことずっと好きだよ!」
「フェイト…それは……」

その言葉は、フェイトが割とよく口にする言葉だった。クロノとエイミィが恋人同士になったとユーノに嬉しそうに報告する時も、そんなことを言っていた。余談ではあるが、彼女はこの時嬉しそうにぴょんぴょんと跳びはね、周りを驚かせた―――その姿はフェイトの姉・アリシアがはしゃぐ時とよく似ており、アリシアをよく知るものが見れば、二人が姉妹であるとわかる姿であった。

 ユーノは何度もそれを聞くたびに、なのはとクロノ同様の感想を抱いていた。
 けれど―――。

「………っ、フェイトちゃん…!」
「え、なに?」
「…い、いつから知ってたの……?」
「え…いつからって……」

 穏やかだったエイミィの顔が急に変わっていく。困ったような、怒っているような、不思議な表情に。そんなエイミィに、フェイトはキョトンとする。続くエイミィの言葉に、フェイトは困惑しながら、彼女に耳打ちしながら答える。フェイトが喋れば喋るほど、エイミィの顔は赤く染まっていった。

「何で知ってるの!?」
「何でって……ずっと二人のそばにいればわかるよ? 母さんも、多分知ってると……」

 目に見えて動揺するエイミィにユーノは驚く。今まで、そんなエイミィの顔を見たことはなかった。下手したら、クロノですら見たことがないかもしれない。
 フェイトの言葉を最後まで聞くと、エイミィは耳まで赤くなっていた。

「!?………クロノくんには絶対に言わないでね!?」
「え、何で? クロノ、喜ぶよ?」
「喜んでもだめー!!」

 エイミィの取り乱し方に、ユーノはポカーンと口を開けた。フェイトは相変わらずキョトンとして、エイミィに肩を揺さぶられていた。
 顔を真っ赤にして、クロノには言わないで。

「………………あ、そういうことか」
「ゆ、ユーノくん!!」

 ユーノにはわかってしまった。どうしてフェイトがあんなことを言っているのか、どうしてエイミィが激しく動揺しているのかを。
 ユーノが気付いてしまったことに気付き、エイミィの取り乱し方が激しくなる。ユーノは初めて、彼女がクロノのことを好きなのだと実感した。

「エイミィさん……本当にクロノ、喜ぶと思いますよ? だって、やきもちも焼いてくれないって落ち込んでましたし……」
「恥ずかしいからだめー!!!」

 からかうような口調の少年に、エイミィは絶叫する。
 答えは簡単なことだった。彼女はクロノが思っているよりもずっと前から、彼のことが好きなだけだ。それをあっけらかんとしたポーカーフェイスで隠しているだけで、本当はクロノに対しての愛情が深い。どうして隠しているのかは、何となく察することができる。確かに、年下の恋人にメロメロなんですとは言いづらい。それに、そんなことを言ったら、クロノが調子に乗るなんて目に見えてる。想像しただけでムカついた。

 ユーノがクスクスと笑っていると、エイミィは恥ずかしさの限界なのか、膝を抱えて縮こまる。
 そんな時だった。

「エイミィ……?」
「…く、クロノくん……!?」

 名前を呼ばれ、エイミィの身体がビクウッと大きく跳ねる。声の主は、話題にも上っているクロノだった。どうやら、こちらで話しこんでいるうちに、あちらの話は終わってしまったらしい。結果的に本人たちに見つかっては、隠れた意味なんてなかった。
 フェイトは少々困ったという顔をしていたが、クロノの後ろをついてきたなのははしょうがないなといった感じで柔らかく笑うだけだった。

 ユーノは知らないが、ここ数日エイミィに距離を置かれていたクロノはほんの一瞬だけ、彼女の姿に動揺した。それもそのはず。艦橋にいると思って、覚悟して歩いてきたのに、謝ろうと思っていた対象がこんなそばにいるだなんて。
 でも、その動揺もほんのわずかな間のこと。


 きゅんっ。


 ユーノは、他人が恋に落ちる瞬間をこの目で見てしまった気がした―――が、気のせいだった。きっと彼は、とっくに恋に溺れている。
 ただでさえも照れていたところを突然クロノに抑えられ、顔を真っ赤にして取り繕えなくなっているエイミィの姿。あうあうと言いながら、弱々しくクロノの名を呼ぶ彼女に、クロノの心臓はきゅんきゅんと高鳴る。胸の高鳴りが聞こえてくるようで、ユーノはげんなりした。
 クロノは何を思ったのかエイミィを背後から抱きあげ、そのままぎゅっと抱きしめる。他人の視線なんて、今の彼にはあって無いものだ。そこまできて、エイミィはハタと我に返る。

「ちょっと、クロノくん……っ」

 クロノによって地面につけない足をジタバタとさせながら、エイミィは彼に抵抗を試みる。けれども、無駄だった。謝ることも忘れ、久しぶりに触れる恋人を、クロノは離そうとはしなかった。


 こんなにメロメロなくせに、何で彼女の気持ちに気付けないんだとユーノは毒吐く。
 多分、彼はどうしてエイミィが真っ赤になっているのか、わかっていない。ただ可愛いからと、きゅんきゅん胸を高鳴らせているだけだ。

 苛立ちながら様子を見守るユーノは気付いてしまった。気付きたくもなかったけれど。


(ああ、あの二人鈍いんだ………)


 クロノしかり、なのはしかり。
 気付けるほど聡かったら、この場にいる人間の関係はもう少し変わっていただろう。その方が良かったのか、現状が良いのか、ユーノには判断できない。

 ただそこにあるのは、ユーノがエイミィに負けず劣らず、クロノの理解者であるということ。
 なのはの理解者だと言われるのは良いが、クロノの理解者になるのは嫌だと考えるあたり、ユーノもなかなか恋に溺れている。



―――それが報われぬ恋だとしても、溺れるのが恋なのだ。

END




続編↓
http://73676.diarynote.jp/201006240056106805/

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