僕たちは恋に溺れる(なのはSS:クロノ×エイミィ)
2010年6月24日 SS※某所にアップしたものの、加筆修正版です
※「君が恋に溺れる」(クロノ×エイミィ&ユーノ→なのは×フェイトSS)
http://73676.diarynote.jp/201004141805568806/
http://73676.diarynote.jp/201004141807391927/の続編です
※直接の続編ではありませんが「夜天の王の御乱心」(クロノ×エイミィ前提はやて&クロノ&エイミィSS)http://73676.diarynote.jp/201005071711198248/の後の話です
その日、ヴェロッサは仕事をサボっていた。サボっていたと言っても、ただデスクに座るだけで、その時間にやる仕事がなかったから、時間が無駄だと思っただけだ。ちょっと、友人のいる艦船に遊びに行って、ちょっと、世間話を楽しんで、さっと帰ってくる予定だった。
アースラに配属されたばかりの新人オペレーターにアポイントを取って、ヴェロッサはさっと移動した。ほんの少しの友人にちょっかいをかけるだけの予定だったため、当の本人には了解を取っていない。サプライズも娯楽の内だとヴェロッサは考える。真面目すぎるカタブツな友人がちょっとでも楽しんでくれたら幸いと、軽く考えていた。
あまりにもカタブツすぎて、浮いた話一つ聞いたことがない。もう、自分も彼も年頃の青年だ。恋人の一人や二人いたっておかしくないと、ヴェロッサは自分のことを棚に上げながら、不穏なことを考える―――恋人は一人で十分なはずだが。いつか彼が恋に落ちることがあったら、じっくりからかってやろうと思う。きっと楽しいだろう。何せ、真面目で一途で不器用な彼だ。からかいがいなんて、余るほどある。今から考えていたら、少しくらい暇が潰れるのではないかと、そんなことを考えながらアースラの中でクロノを探す。
食堂にはいなかった。艦橋にもいなかったし、クロノとの付き合いも長いアレックスたちに居場所を聞いたら、知りませんと何故か棒読みで答えられてしまった。
一応、休憩中ではあるが、それももうすぐ終わると聞いたが、彼はどこにいるのだろう。まさか、ギリギリまで休息を取っているなんてことはないだろう。寝ぼけた顔で彼が艦橋に上がるなんて想像もつかない。
「ほんと、どこ行ったんだろう?」
ヴェロッサはあたりをキョロキョロと見渡す。クロノの私室がある区画まで足を運び、あと少しで部屋の前までたどり着く。そこの角を曲がれば、クロノの部屋だ。まさか、本当にギリギリまで寝ているのではないかと友人を疑う。そんな時、ヴェロッサの耳に話し声が聞こえた。
(この声は……)
声の主なんて簡単にわかった。聞こえてきた友人の声。おそらく自室の前にいるのだろうと、ヴェロッサが角を曲がると、予想外の光景が彼の目に映る。
「クロノく」
話しかけようとしてヴェロッサの声が止まる。ヴェロッサは咄嗟に、先ほど曲がった角に隠れた。
「……もう、こんなことしてたら、また見つかるよ?」
「大丈夫だよ、ユーノの時みたいに、自室にいると言うなと伝えてある……」
「アレックスたちも呆れてるよ? クロノくんがこんないけない上官だなんて」
「そんないけない上官を選んだのは誰だい?」
「あたしですよーっだ」
ヴェロッサの耳に届く、甘く、溶けた声。ヴェロッサは自分の耳を疑った。あのデレデレとした男は誰だ。そう問われれば八割くらいの人間がクロノ・ハラオウンだと答えるだろう。だが、きっと残り二割くらいがヴェロッサと同じ感想を持つだろう。ヴェロッサは自分が幻覚を見ているのではないかと疑い、こっそりと陰からあちらを伺う。そして、後悔した。
重なる二つの唇。触れるだけではなく、求めあうように舌を絡め、熱い抱擁を交わす友人とその補佐官―――エイミィ・リミエッタの姿が、ヴェロッサの瞳に映った。
(え……? えー!?)
ヴェロッサは驚愕を隠せない。あのクロノが、あのいつも仏頂面をしているクロノが、幸せそうに笑いながらデレデレとしている様にも、そのデレデレとしている相手がエイミィであることも、ヴェロッサを驚かせた。彼らは直属の上官と部下であり、姉貴分と弟分であり、何より友人だというのがヴェロッサの認識だ。それが、お互いを愛しげに見つめ合い、抱きしめ合い、口づけを交わしている。
まるで恋人同士のようではないか。
ヴェロッサは、自身の憶測に驚いてしまう。いや、そんな。まさか。だって。
「もう……休憩時間終わっちゃうよ?」
「どうしても……名残惜しくて、な」
「……ばか」
そう言って、もう一度キスをする。触れるだけの口づけに、くすくすと笑いながら応えるエイミィはパジャマ姿で、瞳を閉じて彼女の唇に触れるクロノはバリアジャケット姿。それが妙におかしくて、瞳に焼き付いてしまう。
クロノは本当に名残惜しそうに彼女の背に回した自身の腕を離す。クロノの私室のドアの内で、手を振るエイミィに、片手で答えながら彼は踵を返した。自然と閉じられたドアに、ヴェロッサは唖然とした。ただでさえも、驚いてしょうがないというのに、エイミィの行動に頭を抱えた。どうして自分の部屋じゃなくて、クロノの部屋でパジャマを着ていたのだろう。本人にツッコめば間違いなくセクハラになる予感がして、ヴェロッサの額に嫌な汗が浮かんだ。
自分がいる場所がどこなのかも忘れて。
「………っ、ロッサ!?」
「あ」
考えなくてもわかることだった。ヴェロッサは艦橋からこちらへやってきた。角を曲がればクロノの部屋へ行くことができるということは、反対に、クロノが艦橋に行きたければここを通るということだ。
「あ、あはははは……やっほー、クロノ君」
ヴェロッサは無理やり笑顔を作り、先ほどのエイミィのようにクロノに手を振る。ヴェロッサの瞳に、見る見るうちに顔を真っ赤に染めるクロノの姿が映った。ほんの数秒前まで、艦橋にいるような澄ました顔を取り繕っていた男とは思えないほど、真っ赤。耳までゆでダコのように真っ赤にさせていた。
「なっ!!!」
彼はそう言って、プルプルと震えだす。何でここにいるのかと聞きたいのだと、何となくわかってしまった。こちらはあまりの衝撃で、ここに来た本来の目的を忘れてしまいそうだ。
「ちょっと、遊びに来たんだけど……お邪魔だった?」
「……み」
「み?」
クロノの手のひらが、ヴェロッサの肩にかけられる。そちらもプルプルと震え、力が入っていない。ここまで動揺されると、こちらの動揺は大したことのないように思える。
「見たのか……!?」
「ごめん、見ちゃった☆」
「………っ…!」
ヴェロッサの発言に、クロノが崩れる。今にも膝から崩れ落ちそうなクロノを支え、ヴェロッサは問う。
「万が一の可能性で聞くけど、もしかして上官としての立場を盾に彼女に手を出したの?」
「違う! …………ちゃんと、恋人として…っ…」
ヴェロッサの問いに、クロノは即答する。あくまでも万が一だったが、そんなことはなかった。一応、友人としてホッとするが、別の疑問がヴェロッサの脳裏に過る。
「……いつの間に、とか聞かないでほしい?」
「今は……止めてくれ……」
だろうね。
クロノは、友人に自分と恋人のキスシーンを見られて、平気でいられるような人間ではない。ただでさえも羞恥でどうにかなりそうなクロノに、それ以上追求したら可哀そうだ。からかうのは、後日にしようとヴェロッサは決心した。
「そんなに恥ずかしがらなくても良いと思うけど」
「恥ずかしいに決まってるだろう……」
「いやー、クロノ君に春が来るなんてね」
「……それ以上言ったら、シスターシャッハに君の好きな人のことを話す」
「止めて! そんなことされたら僕死んじゃう!」
そんなことされたら、ヴェロッサの恋心は死亡する。というか、いろんな意味でヴェロッサはシャッハに殺される。
昔からの友人というのはやっかいなものだ。
◇◇◇
「はあ……参っちゃうなぁ……」
アースラの通路を一人歩くエイミィは大きくため息を吐いた。その表情はいつもとは違い、暗く、荒んだものだった。ほんの数分前、艦橋にいた時には、いつもと変わらぬ表情であったが、今はそうではなかった。誰もいない通路でなら、本音も呟けた。
一歩進むごとに、足取りは重くなっていく。折角の休息の時間を無駄にしてどうするのだと、自分をせっつくが、足が動かなくなった。
『どうして、僕がなのはを好きだと当時言ってくれなかったんだ…?』
何度も彼の言葉を思い出し、頭を振る。思い出すから、足が進まなくなるのだとわかっていた。思い出さなければ良いと思っていても、繰り返してしまうのだ。
彼の初恋の相手が、高町なのはだということは知っていた。ずっと隣で見ていたのだから当たり前の話だ。
そのことが今になって胸を刺す。彼が年下の少女に恋をしていたころ、どうして自分はあんな風にからかうことができたのだろうと、どうしようもないことばかりを考えてしまう。
できて当たり前のことだった。自分は彼の友人で、姉貴分だったし、彼を弟のように思っていた。
「ばかみたい」
そう呟いても、誰も返事をしてくれない。こうもエイミィを悩ませている張本人は表面上、彼女同様普通だが、内面はひどく荒んでいた。それこそ、ユーノに八つ当たりをするくらいに。
本当に、馬鹿な喧嘩でしかない。クロノの言葉に腹が立って、一方的に傷つけている。自分の言葉に見る見るうちに表情を変えていく彼に、暗い安心を得ていた自分に腹が立つ。好きな男を傷つけてどうするのだと思う反面、自分だって傷ついたのだと責め続けてやりたかった。
―――ずっとクロノが好きだった。
知られたくないけれど、気付いてほしかった。それだけの話だ。複雑な乙女心を彼は気付いてはくれない。傷つけたくない。思いっきり傷つけてやりたい。ずっと好きだったのだと知られたくはないけれど、肌で感じていてほしかった。自分が、自分以外の人間を好きなクロノをどう見るか、気付いてほしかった。腹を立てても、クロノが好きなのだ。矛盾していると、エイミィ自身も思う。だからこそ、腹が立つのだ。
「あの、エイミィさ」
「ああー! もうっ、クロノくんのバカー!!!」
エイミィは突然の通信に気付かず、叫びを上げる。拳を振り上げ、大きな声で。そんなエイミィに、通信を入れた相手は驚き、目をぱちくりさせる。急に連絡した自分が、逆に驚かされている不思議に―――なのはは目を丸くした。
肺活量を自慢するかのように、長々と声を張り上げていたエイミィは肩で息をしている。そのまま物に八つ当たりしてしまいそうな自分を抑え、前を見ると、なのはと目が合ってしまった。なのは同様、目を丸くした。しばしの間。ほんの十秒ほど驚いた後、エイミィは普通を取り繕う。
「ど、どうしたのかな? なのはちゃん」
「あ、エイミィさんの都合も考えずに突然、通信を入れてしまって、すみません」
「大丈夫だよ? 今から休憩だし……何か御用?」
「えっと……クロノ君、どうしてますか?」
なのはの口から出た、クロノの名前にエイミィがびくりと肩を震わせる。クロノに関して苛立っている最中に、なのはからの通信。心配するなのはの声に、動揺を隠せない。
「どうって……」
「あの……フェイトちゃんから、お二人が喧嘩されてるって聞きまして……その、なんと言いましょうか」
自分が原因なのかと、当たらずとも遠からずな問いを、なのははエイミィに向ける。なのはが言いたいのは、クロノが自分に向けての謝罪をできなかったことが原因なのではということだった。だが、実際は違う。ただの馬鹿な喧嘩だ。なのは本人は関係ないのだが、黒い感情が小さく生まれた。やきもちなんて可愛いものではなく、これは嫉妬だと感じながらも、無理やり誤魔化すために、エイミィは声を荒げた。
「ちょっと聞いて! なのはちゃん!」
「あ、はい」
「クロノくんがすっごいむかつくのー! クロノくんのバカー!! なのはちゃんが初恋の相手だからって、何なのー!?」
「へ?」
「どうせ、あたしはなのはちゃんみたいに年下でもなければ、凛々しくもないですよー! だからって、あんなこと言うの! 普通!」
なのはがぽかーんと口を開いたまま、閉じることができなくなっている間、エイミィはずっと叫び続けた。クロノに面と向かって言えば良い物を、よりにもよってなのはに。もう一度、クロノの馬鹿と叫び、エイミィはなのはから視線を逸らし、深くため息を吐いた。そのあと、もう一度なのはと目を合わせた。
「……ごめんね、八つ当たりしちゃって……」
なのはは何も悪くはないというのに、八つ当たりをしてしまったことを後悔する。みっともない。みっともない自分に、エイミィは涙が出そうだった。今にも泣き出しそうなエイミィに、なのはは微笑む。
「好きな人と喧嘩しちゃって、落ち込んじゃうのは仕方のないことだと思います…」
「なのはちゃん……」
「わたしだって、フェイトちゃんと喧嘩したら、きっと落ち込んで、ディバインバスターとか撃ちまくっちゃうかもしれませんし」
これくらい、八つ当たりのうちに入りませんよと笑うなのはが少し怖く、同時に面白くて、エイミィは思わず笑ってしまった。この魔砲少女が感情のままにディバインバスターなどを撃ちまくったら、それこそ、どれだけ被害が出るかわからない。
エイミィを笑わせようとしてくれたのか、本気なのかはわからなかったが、彼女の心は少し軽くなる。少しは心が楽になった気がして、自然と、感謝の言葉がエイミィの口からこぼれた。
「ありがとう……なのはちゃん」
「わたしは何もしてませんよ? ……ところで、エイミィさん」
「な、何かな?」
ニコニコと笑っていたなのはの顔つきが神妙なものへと変わっていき、エイミィは自然と警戒する。七歳も年下の少女に、何を問われるのかとエイミィがびくびくしていると、自身の耳を疑うような言葉が、なのはの口から飛び出た。
「えっと……クロノ君の初恋って、何ですか?」
「え?」
「あの、聞き間違いじゃなかったら、クロノくんの初恋の相手がわたしって、聞こえたんですけど……どういうことなんでしょうか?」
「え?」
なのはの言葉にエイミィは驚き、目を見開く。
「エイミィさん?」
「え? 気づいてなかったの?」
「え?」
気付いていなかったのと問うエイミィの言葉に、なのはまで同じような表情になる。
(ここにもにぶちんがいたああああああ!!)
自分の初恋に気付かないクロノも鈍いが、彼に想いを寄せられていたなのはも鈍かった。どうしようもなく、むしろ、クロノよりも壊滅的に。
フェイトがなのはと両想いになれたことが奇跡のようで、同時にあんなに好意丸見えなのにもかかわらず一切気付かれないユーノに、エイミィは別の意味で涙が出そうになった。
◇◇◇
「んっ、んうっ……ん、」
「エイミィ……っ」
「クロ……んんんっ!」
自分たち以外誰もいない部屋で、押し倒され、半ば無理やり口づけをされる。手のひらは背中と同じく、ベッドに押しつけられ、動こうと思っても動くことができない。抗いようのない口づけを、何度繰り返されたことか。
エイミィたちのもとへ突然現れたクロノは、唐突に赤くなったエイミィを抱きしめ、なのはたちに何の断りもなしに彼女を連れて、すぐそばの部屋へと引っ込んだ。ベッドにエイミィを下ろすと、少し照れた顔が彼女の顔に覆いかぶさった。だが、それも見つめ合った途端、暗いものへと変わっていった。今にも泣き出しそうな、子どものような顔。傷ついて、泣いて、縋りそうな、そんな弱々しい顔だった。何を思ったのか、クロノはずっと口づけを繰り返し、息継ぎをするために唇を離すたびに、エイミィの名前を呼んだ。
名前を呼ぶ声が、まるで好きだ好きだと言っているようで、ドキドキする。苛立ちよりも、愛しさばかりが胸に落ちる。
まずは、なのはとの会話で毒気を抜かれた。何だか、怒っていた自分が馬鹿らしく感じられたからだ。
次に、翌日になっても落ち込んでいるクロノの姿に良心が痛んだ。自分で傷つけておいて都合の良い話だが、なんだか可哀そうになってしまったのだ。ちょっと距離を置いたふりをしただけだというのに、クロノのユーノへの無自覚の八つ当たりは倍額へと膨れ上がっていた。表面上は何も変わらなかったからタチが悪い。フェイトとユーノあたりは気付いて、おろおろしていたり、怒っていた。
大人として、それは如何なものかと思い、エイミィはなのはにクロノへのフォローを頼んだ。色々あった末、結果として、今こうして押し倒されて、キスをされている。
時折、クロノの顔が見えると、やはり泣きそうな顔で、慰めてやりたくても手を押さえつけられ、撫でてやることもできない。
「ふあっ、ん、んんっ!」
舌を絡め、唾液が口の端から漏れる。唾液が顎を伝い、エイミィの髪を汚した。
二日くらいしか離れていなかったはずなのに、身体を重ねた温みが、エイミィをほっとさせていた。もっと近づけたらと思うが、彼の背中に腕が伸ばせない。
「んっ……クロ、クロノくん……!」
「………っ……」
息継ぎのタイミングを見計らい、彼の名前を呼ぶ。さすがに息がもたないのか、長い息継ぎをしていたクロノの隙をついた。名前を呼ばれたクロノはぎくりと肩を揺らし、視線を逸らした。
罪悪感。それとも、後悔か、不安か。どれとも取れる表情を、クロノはした。エイミィがもう一度呼びかけると、彼女の手を拘束していた手が解かれる。長い間重なっていた手のひらは赤くなり、動かしづらい。これでは慰めるために、頬や頭を撫でてやることもできないと、エイミィが考えていると、彼女の身体が浮き上がる。
「……エイミィ…っ…」
泣きそうな声。クロノに抱きしめられ、ベッドについていた背はクロノの腕に閉じ込められる。彼女の肩に顔を埋め、エイミィの名を何度も呼ぶクロノの背に、腕を伸ばした。より近くなる距離。
「クロノくん? 泣いてる?」
「……泣いてない」
「嘘ばっかり」
「泣いてなんか、ないさ」
本当は知っていた。いくら泣きそうになっても、泣かないことを。泣けないことを。わかっていて、口にしたのだ。涙を流さなくても、心は泣いている。どんなに傷つけられても、傷つけても、好きな相手だ。自然と、その心がわかってしまう。
「ごめんね……?」
「………っ……」
「クロノくんが、あたしのことを好きだって、ちゃんとわかってるから……」
大丈夫なんだよと、子どもをあやすように、思った言葉を口にした。わかっている。全部わかっていて、追いつめたのは自分だと、クロノの背を撫でた。
「……僕のことが嫌いになったのか?」
「…………嫌い」
「そうか………」
やっと口を開いたと思ったら、そんなことを聞くと言うのか。愛しくて、切ない存在を抱きしめながら、何一つ伝わっていないのかと、エイミィは少々腹を立てた。
嫌いと呟いたエイミィに、クロノは身体を強張らせ、身体を離そうとする。
「そういう風に、言葉通りに取るクロノくんなんか、嫌い」
嫌いだったら、離れようとするクロノの身体を離すまいと抱きしめたりしない。クロノの身体が少し離れたことで、エイミィの唇が彼の頬に触れられる。嫌いだったら、死んでも、彼の頬にキスなんてしない。
「…………一応、僕は君の上官なわけで、虚偽は許されないわけだが……」
「こういう時に、上官とか部下とか言い出すクロノくんはホンット嫌い」
やっと嘘だとわかったのか、クロノの声が柔らかくなる。途端、本気だか冗談だかわからない言葉を口にした。今は二人きりだというのに、仕事上での立場を持ちだすクロノに、エイミィは頬を膨らませた。確かに二人は直属の上官と部下で、執務官と執務官補佐だが、それ以前に―――。
「なら、恋人として聞こう……僕のことを、まだ好きでいてくれるか?」
―――恋人だ。
冗談めいた言葉を口にしたあとの割には、彼の声は震えていた。エイミィの返答を待たずして、クロノは彼女を抱きしめる。これだけ触れ合って、まだ伝わらない気持ちがもどかしい。不安だという気持ちも、好きだという気持ちも、エイミィには伝わっているというのに。
「……好きだよ? クロノくんの言葉に、いちいち怒っちゃうくらい、好き……大好き」
「そうか……」
クロノの口から、小さく息が漏れ、エイミィの頬にかかる。より強く抱きしめられ、苦しいくらいだ。
好き。好き。大好き。そう何度繰り返せばいいのだろう。どうすればクロノは安心するのだろうと、思いながら、彼の口づけを再び受け入れる。
仕事中であることを忘れてしまうくらい、彼に夢中だというのに――――。
あとは、結婚くらいしか選択肢はないかもしれないと、彼に抱きしめられながら、そう思った。
◇◇◇
「はあっ……」
時空管理局本局食堂で、ため息を吐く歩くロストロギアが一人。歩くロストロギアこと、八神はやては手にしたグラスを見つめながら、げんなりとした顔をしていた。そんな彼女の目の前に、一つのケーキが突然現れる。不思議に思い、顔を上げると、よく見知った明るい色が彼女の目に映った。
「あ、ロッサ」
「や! はやて」
彼女の友人である、ヴェロッサが気付けばはやての向かいに座っていた。彼の前にもケーキが一つ。半分くらい食べ進んだそれは、どれだけはやてが彼に気付かなかったかの証明であった。急に現れたと思っていたが、実際はクリームが少し乾いていた。僕が作ったんだよと、ヴェロッサははやてにウィンクして見せる。折角のヴェロッサの特製ケーキの味が落ちてしまったことが、ひどくもったいなく思えた。
「何か、悩みごと?」
「……あたしの悩みごとっていうか……………」
「ん?」
「クロノ君の悩みごとがなあ……」
「あ、ああ……」
はやてのため息から、何かあったのかと問うヴェロッサに対し、彼女はほんの少し躊躇い、答えを口にする。はやての答えに、ヴェロッサは納得の声をあげてしまった。
「きみにも来た? 相談メール……」
「ロッサにも? 内容は一緒かなあ……?」
「だったら、まとめて対処できるだろうけど、違うだろうね………」
はやてとヴェロッサは、ほぼ同時にため息を漏らす。
今から約一年前、某魔砲少女の言葉がきっかけで、割とこまめにクロノから相談メールが届くようになった。真面目な彼のことだ。あまりにも思いつめて、いきなりボッキリ折れてしまうなんてこともあり得る。そんな事態になるよりは、こまめに相談される方が幾分マシかに思えたが―――何分、内容がうっとうしい。
やれエイミィがどうした、エイミィとどうたらと、恋人のことばかりで相談されて、二人はうんざりしていた。某無限書庫司書長はあまりの頻度に一度盛大にキレたため、あまり送られることはないが、それでもやはり送られているらしい。
諸悪の根源たる某教導官には、ごく稀に送られると本人に聞いた。悩んだときは友だちに聞いてもらえば良いと教えた張本人には恥ずかしくてあまり送っていないと、クロノは言った。彼女が彼の初恋の相手だからとか甘酸っぱい理由ではなく、なのはの親友兼恋人である義妹に知られたくないという、格好をつけたい格好悪い兄の事情だった。
なのはほどフェイトに近くなく、何だかんだと返事をしてしまうはやてとヴェロッサが、現在のターゲットとなっている。
「あたしんとこには、エイミィさんに浮気したら別れるからって言われたって……」
「僕には、彼女の初恋を知っちゃったって……」
はあ。
お互いがされた相談を口にした途端、二人はまた深いため息を漏らした。くだらない上にうっとうしい。色ボケにも程がある。
より具体的に相談内容を言うと、はやての方は、エイミィに自分が浮気をしたらどうするのかと聞いてしまったと書いてあった。突発的な性的関係としての浮気なら即座に別れる。心変わりとしての浮気ならば、ご丁寧に人事に連絡して人員を確保、引き継ぎをした後、クロノに黙って管理局を退職。その後、ヴェロッサあたりを誘惑して、結婚して、クロノに見せつけてやると言われたらしい。はやてはこの相談メールを読んで、すぐさま、何で聞いてしまったんだとツッコんだ。クロノが浮気をするなんて思えないが、まるで浮気をする前振りのようで、彼女の機嫌を損ねるに決まっているではないか。
「何で、僕、巻き込まれてるの……?」
「某司書長は想い人がいるから、難易度高いってことらしいんや……」
はやてが語るクロノの相談内容に、ヴェロッサは青ざめた。次にクロノに会う時が怖い。女の嫉妬も醜いが、男の嫉妬も大概だ。
続いて、ヴェロッサがクロノからの相談メールの内容を打ち明ける。
ヴェロッサはクロノからのメールで、エイミィの初恋の相手を知ってしまった。その相手とは、初等科のころの学校の先生だという。至極、一般的な初恋の相手である。だが、クロノとしては大変ショックなものであったらしい。気持ちはわかるが、クロノが彼女の初恋の相手であると考えるのは無理がある。世間的に、初恋というのは幼いころに終えているもので、二人が出会ったころには子どもとはいえ、彼女は十分大きくなっていた。
ヴェロッサは口にはしないが、心の中でクロノにツッコむ。彼女の初めてのキスやら何やらを奪って、まだ足りないのかと。
はやてへのセクハラになるので言わないし、クロノに知れたら要らない疑惑を生みそうだから本人にも知らせていないが、ヴェロッサはあのカップルの色々を知っていた。
初めてのキスは事故のようなものだったと、クロノから聞いた。付き合い始めた理由は照れて教えてくれないが、何となくそれがきっかけだったのだろと考えている。
初めてのキスの相手だけではなく、その他の行為の初めての相手まで知っているのは、当のエイミィ本人がうっかり漏らしてしまったからなのだが、そんなことを知ったと、クロノに知られたら、エターナルコフィンで氷殺される。グレアムはとんでもないものをクロノに残していったものだ。
「初恋は実らないって相場が決まってるもんやん……何で聞いてまうん?」
「万が一を期待したんじゃないかな……」
「まあ、身近に妹と言う例外がいるしなあ……」
彼の義妹・フェイトの初恋の相手はなのはだ。その恋は実り、イチャイチャラブラブ。確かに期待してしまう気持ちもわかるが、初恋に敗れる某司書長も身近に見ているではないか。
女は男の最後の女になりたがるというが、男は女の最初の男になりたがるという。それは例外なくクロノにも当てはまるようで、彼は自分を棚に上げてショックを受けていた。ヴェロッサも、長年の友人がここまで貪欲だと知らなかった。恋に溺れるって、こういうことをいうのかと、軽く流せたら良かったが、あまりの相談メールの量でげんなりする。それでも、彼女の前では格好をつけたがるから、タチが悪い。
「初恋にこだわらなくたって、今の恋が確かなものだったら、それでええやん……」
「でも、確かに初恋が実ったら、ロマンティックだよね」
「まあ、確かに、そうなんやけど」
はやてはクロノに呆れ、もう氷が溶けてしまったアイスティーに口をつける。初恋は実らなくても、今ある恋が確かに繋がっているなら、それだけで良い。そのことについてはヴェロッサも同意する。実るだけマシなのだ。
「そういうはやては?」
「……セクハラやって、言いたいところやけど、実際相場通りや。実るわけない」
「もしかして、クロノ君?」
ヴェロッサの問いに少し切なげに笑うはやての姿。何となくはやての気持ちが理解できるヴェロッサはその表情を笑わせたくて、あえてあり得ないことを口にした。
「あっはっはー、あたしの好きな人はクロノ君なんかよりも、よっぽど格好ええ。それに、いくらええ人で、男前で優しくて、艦船持ちの提督っていうエリートでも、あんな変態さんな彼氏はいややー」
クロノからのメールを忘れたくて、二人は軽口を叩く。本人に聞かれたら一大事だ――そう、一大事になる。
「悠久なる凍土……凍てつく棺の内にて、永遠の眠りを与えよ」
「え?」
「凍てつ」
「ストーップ! クロノ君、ストーップ!!」
背後から聞こえる氷結魔法の詠唱。振り向けば、よく見知った黒いバリアジャケット。かつてその魔法で永久凍結の封印をされそうになり、クロノに助けられたはやては必死になって、彼を止める。
「ちっ」
「ここをどこだと思ってるん!? 本局やで、本局!」
「大丈夫、出力は最低にしているし、非殺傷設定だ」
「それでも危ないわ!」
舌打ちする友人に驚愕するが、ツッコミは忘れない。空戦AAA+以上の魔導師が高ランク魔法。出力を落としたところで、危ないにもほどがある。
「君が人を変態呼ばわりするからだ」
「いだっ」
クロノは妥協したのか、詠唱完了しているデュランダルの柄ではやての頭を叩く。たかが変態呼ばわりで氷結魔法を喰らうより、よっぽど釣り合った罰だ。はやては黙ってそれを受け入れる。
「クロノ君、久しぶりー」
「ああ、ロッサ。実際会うのは久しぶりだな」
「まあ、クロノ君はアースラにいることが多いからね、お疲れ様、艦長さん」
はやてのようにクロノの怒りを向けられたくないのか、ヴェロッサは心の内を隠したまま、当たり障りのない挨拶を彼に向けた。
続いて、はやても。
「断られるのが不安で、エイミィさんが寝てる間に指輪はめたクロノ君、婚約おめでとう」
「なっ!!」
「え、ついに婚約したんだー? おめでとー」
「なっ!」
はやての言葉はヴェロッサと違って当たり障りのない挨拶ではなかった。ただの秘密暴露だ。クロノの顔が真っ赤に染まる。
「っ、何で知ってるんだ!?」
「エイミィさんから聞いたフェイトちゃんに聞いただけや」
「フェイ…っ、エイミィ!!」
義妹と未来の妻、どちらを責めれば良いのわからないクロノは、声を荒げた。
「まあ、おめでたいことだし、良いじゃないか」
「ロッサ………」
今にも飛び火しそうなクロノの怒りを納めようと、ヴェロッサは彼を宥めた。
「そうそう、おめでたいことやし……って、そう言えばロッサの初恋の相手って誰なん?」
「え?」
ヴェロッサはぽかんと口を開けた。
いまいち納得しきれていない様子のクロノを宥めるついでに、はやては疑問を口にした。今来たばかりのクロノには事情が掴めていない様子だ。これでエイミィの初恋について思い出されていたら、うっとうしいことこの上なかったが、幸い思い出していない様子だ。
「さ、さあ、誰だろうね……」
誤魔化そうとするヴェロッサに、クロノはキョトンとする。はやては聞きだす気満々という顔をしていた。自分ばかり聞かれてはフェアではないといったところか。そそくさと逃げだそうとするヴェロッサに、クロノはキョトンとしたまま、言い放つ。
「誰って…シス」
「クロノ君! それ以上言ったら、僕の初恋の相手は君だって言いふらす!」
「冗談でも止めてくれ。大体、そんなに恥ずかしく思わなくても、今だってシ」
「みーなーさーん! 僕、ヴェロッサ・アコースの初恋の相手はクロ」
「なっ!」
ヴェロッサは諸刃の刃を繰り出した。ヴェロッサ、クロノ、双方のダメージ三十パーセントといったところだ。クロノをからかうようなムードから一変、どことなく殺伐としている。
「なあなあ、誰なん? 誰なん?」
「はやて! 君は黙っていてくれ!」
「そうだよ! それに、僕だって君の初恋の相手が誰だかってちゃんと聞いてない!」
「ロッサが教えてくれたら、教える。本当に、クロノ君なん?」
「そんなわけない! ロッサが好きなのはシス」
「だーかーらー! クロノ君で良いよ! もう!」
提督と査察官と特別捜査官が、ギャーギャーと阿鼻叫喚の渦を作り上げる。今日も時空管理局本局は平和だ。
三者三様の恋模様は心の内に秘めておくのが良い。それが初恋であろうと、なかろうと――――。
End
続編↓
http://73676.diarynote.jp/201009042249595539/
※「君が恋に溺れる」(クロノ×エイミィ&ユーノ→なのは×フェイトSS)
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http://73676.diarynote.jp/201004141807391927/の続編です
※直接の続編ではありませんが「夜天の王の御乱心」(クロノ×エイミィ前提はやて&クロノ&エイミィSS)http://73676.diarynote.jp/201005071711198248/の後の話です
その日、ヴェロッサは仕事をサボっていた。サボっていたと言っても、ただデスクに座るだけで、その時間にやる仕事がなかったから、時間が無駄だと思っただけだ。ちょっと、友人のいる艦船に遊びに行って、ちょっと、世間話を楽しんで、さっと帰ってくる予定だった。
アースラに配属されたばかりの新人オペレーターにアポイントを取って、ヴェロッサはさっと移動した。ほんの少しの友人にちょっかいをかけるだけの予定だったため、当の本人には了解を取っていない。サプライズも娯楽の内だとヴェロッサは考える。真面目すぎるカタブツな友人がちょっとでも楽しんでくれたら幸いと、軽く考えていた。
あまりにもカタブツすぎて、浮いた話一つ聞いたことがない。もう、自分も彼も年頃の青年だ。恋人の一人や二人いたっておかしくないと、ヴェロッサは自分のことを棚に上げながら、不穏なことを考える―――恋人は一人で十分なはずだが。いつか彼が恋に落ちることがあったら、じっくりからかってやろうと思う。きっと楽しいだろう。何せ、真面目で一途で不器用な彼だ。からかいがいなんて、余るほどある。今から考えていたら、少しくらい暇が潰れるのではないかと、そんなことを考えながらアースラの中でクロノを探す。
食堂にはいなかった。艦橋にもいなかったし、クロノとの付き合いも長いアレックスたちに居場所を聞いたら、知りませんと何故か棒読みで答えられてしまった。
一応、休憩中ではあるが、それももうすぐ終わると聞いたが、彼はどこにいるのだろう。まさか、ギリギリまで休息を取っているなんてことはないだろう。寝ぼけた顔で彼が艦橋に上がるなんて想像もつかない。
「ほんと、どこ行ったんだろう?」
ヴェロッサはあたりをキョロキョロと見渡す。クロノの私室がある区画まで足を運び、あと少しで部屋の前までたどり着く。そこの角を曲がれば、クロノの部屋だ。まさか、本当にギリギリまで寝ているのではないかと友人を疑う。そんな時、ヴェロッサの耳に話し声が聞こえた。
(この声は……)
声の主なんて簡単にわかった。聞こえてきた友人の声。おそらく自室の前にいるのだろうと、ヴェロッサが角を曲がると、予想外の光景が彼の目に映る。
「クロノく」
話しかけようとしてヴェロッサの声が止まる。ヴェロッサは咄嗟に、先ほど曲がった角に隠れた。
「……もう、こんなことしてたら、また見つかるよ?」
「大丈夫だよ、ユーノの時みたいに、自室にいると言うなと伝えてある……」
「アレックスたちも呆れてるよ? クロノくんがこんないけない上官だなんて」
「そんないけない上官を選んだのは誰だい?」
「あたしですよーっだ」
ヴェロッサの耳に届く、甘く、溶けた声。ヴェロッサは自分の耳を疑った。あのデレデレとした男は誰だ。そう問われれば八割くらいの人間がクロノ・ハラオウンだと答えるだろう。だが、きっと残り二割くらいがヴェロッサと同じ感想を持つだろう。ヴェロッサは自分が幻覚を見ているのではないかと疑い、こっそりと陰からあちらを伺う。そして、後悔した。
重なる二つの唇。触れるだけではなく、求めあうように舌を絡め、熱い抱擁を交わす友人とその補佐官―――エイミィ・リミエッタの姿が、ヴェロッサの瞳に映った。
(え……? えー!?)
ヴェロッサは驚愕を隠せない。あのクロノが、あのいつも仏頂面をしているクロノが、幸せそうに笑いながらデレデレとしている様にも、そのデレデレとしている相手がエイミィであることも、ヴェロッサを驚かせた。彼らは直属の上官と部下であり、姉貴分と弟分であり、何より友人だというのがヴェロッサの認識だ。それが、お互いを愛しげに見つめ合い、抱きしめ合い、口づけを交わしている。
まるで恋人同士のようではないか。
ヴェロッサは、自身の憶測に驚いてしまう。いや、そんな。まさか。だって。
「もう……休憩時間終わっちゃうよ?」
「どうしても……名残惜しくて、な」
「……ばか」
そう言って、もう一度キスをする。触れるだけの口づけに、くすくすと笑いながら応えるエイミィはパジャマ姿で、瞳を閉じて彼女の唇に触れるクロノはバリアジャケット姿。それが妙におかしくて、瞳に焼き付いてしまう。
クロノは本当に名残惜しそうに彼女の背に回した自身の腕を離す。クロノの私室のドアの内で、手を振るエイミィに、片手で答えながら彼は踵を返した。自然と閉じられたドアに、ヴェロッサは唖然とした。ただでさえも、驚いてしょうがないというのに、エイミィの行動に頭を抱えた。どうして自分の部屋じゃなくて、クロノの部屋でパジャマを着ていたのだろう。本人にツッコめば間違いなくセクハラになる予感がして、ヴェロッサの額に嫌な汗が浮かんだ。
自分がいる場所がどこなのかも忘れて。
「………っ、ロッサ!?」
「あ」
考えなくてもわかることだった。ヴェロッサは艦橋からこちらへやってきた。角を曲がればクロノの部屋へ行くことができるということは、反対に、クロノが艦橋に行きたければここを通るということだ。
「あ、あはははは……やっほー、クロノ君」
ヴェロッサは無理やり笑顔を作り、先ほどのエイミィのようにクロノに手を振る。ヴェロッサの瞳に、見る見るうちに顔を真っ赤に染めるクロノの姿が映った。ほんの数秒前まで、艦橋にいるような澄ました顔を取り繕っていた男とは思えないほど、真っ赤。耳までゆでダコのように真っ赤にさせていた。
「なっ!!!」
彼はそう言って、プルプルと震えだす。何でここにいるのかと聞きたいのだと、何となくわかってしまった。こちらはあまりの衝撃で、ここに来た本来の目的を忘れてしまいそうだ。
「ちょっと、遊びに来たんだけど……お邪魔だった?」
「……み」
「み?」
クロノの手のひらが、ヴェロッサの肩にかけられる。そちらもプルプルと震え、力が入っていない。ここまで動揺されると、こちらの動揺は大したことのないように思える。
「見たのか……!?」
「ごめん、見ちゃった☆」
「………っ…!」
ヴェロッサの発言に、クロノが崩れる。今にも膝から崩れ落ちそうなクロノを支え、ヴェロッサは問う。
「万が一の可能性で聞くけど、もしかして上官としての立場を盾に彼女に手を出したの?」
「違う! …………ちゃんと、恋人として…っ…」
ヴェロッサの問いに、クロノは即答する。あくまでも万が一だったが、そんなことはなかった。一応、友人としてホッとするが、別の疑問がヴェロッサの脳裏に過る。
「……いつの間に、とか聞かないでほしい?」
「今は……止めてくれ……」
だろうね。
クロノは、友人に自分と恋人のキスシーンを見られて、平気でいられるような人間ではない。ただでさえも羞恥でどうにかなりそうなクロノに、それ以上追求したら可哀そうだ。からかうのは、後日にしようとヴェロッサは決心した。
「そんなに恥ずかしがらなくても良いと思うけど」
「恥ずかしいに決まってるだろう……」
「いやー、クロノ君に春が来るなんてね」
「……それ以上言ったら、シスターシャッハに君の好きな人のことを話す」
「止めて! そんなことされたら僕死んじゃう!」
そんなことされたら、ヴェロッサの恋心は死亡する。というか、いろんな意味でヴェロッサはシャッハに殺される。
昔からの友人というのはやっかいなものだ。
◇◇◇
「はあ……参っちゃうなぁ……」
アースラの通路を一人歩くエイミィは大きくため息を吐いた。その表情はいつもとは違い、暗く、荒んだものだった。ほんの数分前、艦橋にいた時には、いつもと変わらぬ表情であったが、今はそうではなかった。誰もいない通路でなら、本音も呟けた。
一歩進むごとに、足取りは重くなっていく。折角の休息の時間を無駄にしてどうするのだと、自分をせっつくが、足が動かなくなった。
『どうして、僕がなのはを好きだと当時言ってくれなかったんだ…?』
何度も彼の言葉を思い出し、頭を振る。思い出すから、足が進まなくなるのだとわかっていた。思い出さなければ良いと思っていても、繰り返してしまうのだ。
彼の初恋の相手が、高町なのはだということは知っていた。ずっと隣で見ていたのだから当たり前の話だ。
そのことが今になって胸を刺す。彼が年下の少女に恋をしていたころ、どうして自分はあんな風にからかうことができたのだろうと、どうしようもないことばかりを考えてしまう。
できて当たり前のことだった。自分は彼の友人で、姉貴分だったし、彼を弟のように思っていた。
「ばかみたい」
そう呟いても、誰も返事をしてくれない。こうもエイミィを悩ませている張本人は表面上、彼女同様普通だが、内面はひどく荒んでいた。それこそ、ユーノに八つ当たりをするくらいに。
本当に、馬鹿な喧嘩でしかない。クロノの言葉に腹が立って、一方的に傷つけている。自分の言葉に見る見るうちに表情を変えていく彼に、暗い安心を得ていた自分に腹が立つ。好きな男を傷つけてどうするのだと思う反面、自分だって傷ついたのだと責め続けてやりたかった。
―――ずっとクロノが好きだった。
知られたくないけれど、気付いてほしかった。それだけの話だ。複雑な乙女心を彼は気付いてはくれない。傷つけたくない。思いっきり傷つけてやりたい。ずっと好きだったのだと知られたくはないけれど、肌で感じていてほしかった。自分が、自分以外の人間を好きなクロノをどう見るか、気付いてほしかった。腹を立てても、クロノが好きなのだ。矛盾していると、エイミィ自身も思う。だからこそ、腹が立つのだ。
「あの、エイミィさ」
「ああー! もうっ、クロノくんのバカー!!!」
エイミィは突然の通信に気付かず、叫びを上げる。拳を振り上げ、大きな声で。そんなエイミィに、通信を入れた相手は驚き、目をぱちくりさせる。急に連絡した自分が、逆に驚かされている不思議に―――なのはは目を丸くした。
肺活量を自慢するかのように、長々と声を張り上げていたエイミィは肩で息をしている。そのまま物に八つ当たりしてしまいそうな自分を抑え、前を見ると、なのはと目が合ってしまった。なのは同様、目を丸くした。しばしの間。ほんの十秒ほど驚いた後、エイミィは普通を取り繕う。
「ど、どうしたのかな? なのはちゃん」
「あ、エイミィさんの都合も考えずに突然、通信を入れてしまって、すみません」
「大丈夫だよ? 今から休憩だし……何か御用?」
「えっと……クロノ君、どうしてますか?」
なのはの口から出た、クロノの名前にエイミィがびくりと肩を震わせる。クロノに関して苛立っている最中に、なのはからの通信。心配するなのはの声に、動揺を隠せない。
「どうって……」
「あの……フェイトちゃんから、お二人が喧嘩されてるって聞きまして……その、なんと言いましょうか」
自分が原因なのかと、当たらずとも遠からずな問いを、なのははエイミィに向ける。なのはが言いたいのは、クロノが自分に向けての謝罪をできなかったことが原因なのではということだった。だが、実際は違う。ただの馬鹿な喧嘩だ。なのは本人は関係ないのだが、黒い感情が小さく生まれた。やきもちなんて可愛いものではなく、これは嫉妬だと感じながらも、無理やり誤魔化すために、エイミィは声を荒げた。
「ちょっと聞いて! なのはちゃん!」
「あ、はい」
「クロノくんがすっごいむかつくのー! クロノくんのバカー!! なのはちゃんが初恋の相手だからって、何なのー!?」
「へ?」
「どうせ、あたしはなのはちゃんみたいに年下でもなければ、凛々しくもないですよー! だからって、あんなこと言うの! 普通!」
なのはがぽかーんと口を開いたまま、閉じることができなくなっている間、エイミィはずっと叫び続けた。クロノに面と向かって言えば良い物を、よりにもよってなのはに。もう一度、クロノの馬鹿と叫び、エイミィはなのはから視線を逸らし、深くため息を吐いた。そのあと、もう一度なのはと目を合わせた。
「……ごめんね、八つ当たりしちゃって……」
なのはは何も悪くはないというのに、八つ当たりをしてしまったことを後悔する。みっともない。みっともない自分に、エイミィは涙が出そうだった。今にも泣き出しそうなエイミィに、なのはは微笑む。
「好きな人と喧嘩しちゃって、落ち込んじゃうのは仕方のないことだと思います…」
「なのはちゃん……」
「わたしだって、フェイトちゃんと喧嘩したら、きっと落ち込んで、ディバインバスターとか撃ちまくっちゃうかもしれませんし」
これくらい、八つ当たりのうちに入りませんよと笑うなのはが少し怖く、同時に面白くて、エイミィは思わず笑ってしまった。この魔砲少女が感情のままにディバインバスターなどを撃ちまくったら、それこそ、どれだけ被害が出るかわからない。
エイミィを笑わせようとしてくれたのか、本気なのかはわからなかったが、彼女の心は少し軽くなる。少しは心が楽になった気がして、自然と、感謝の言葉がエイミィの口からこぼれた。
「ありがとう……なのはちゃん」
「わたしは何もしてませんよ? ……ところで、エイミィさん」
「な、何かな?」
ニコニコと笑っていたなのはの顔つきが神妙なものへと変わっていき、エイミィは自然と警戒する。七歳も年下の少女に、何を問われるのかとエイミィがびくびくしていると、自身の耳を疑うような言葉が、なのはの口から飛び出た。
「えっと……クロノ君の初恋って、何ですか?」
「え?」
「あの、聞き間違いじゃなかったら、クロノくんの初恋の相手がわたしって、聞こえたんですけど……どういうことなんでしょうか?」
「え?」
なのはの言葉にエイミィは驚き、目を見開く。
「エイミィさん?」
「え? 気づいてなかったの?」
「え?」
気付いていなかったのと問うエイミィの言葉に、なのはまで同じような表情になる。
(ここにもにぶちんがいたああああああ!!)
自分の初恋に気付かないクロノも鈍いが、彼に想いを寄せられていたなのはも鈍かった。どうしようもなく、むしろ、クロノよりも壊滅的に。
フェイトがなのはと両想いになれたことが奇跡のようで、同時にあんなに好意丸見えなのにもかかわらず一切気付かれないユーノに、エイミィは別の意味で涙が出そうになった。
◇◇◇
「んっ、んうっ……ん、」
「エイミィ……っ」
「クロ……んんんっ!」
自分たち以外誰もいない部屋で、押し倒され、半ば無理やり口づけをされる。手のひらは背中と同じく、ベッドに押しつけられ、動こうと思っても動くことができない。抗いようのない口づけを、何度繰り返されたことか。
エイミィたちのもとへ突然現れたクロノは、唐突に赤くなったエイミィを抱きしめ、なのはたちに何の断りもなしに彼女を連れて、すぐそばの部屋へと引っ込んだ。ベッドにエイミィを下ろすと、少し照れた顔が彼女の顔に覆いかぶさった。だが、それも見つめ合った途端、暗いものへと変わっていった。今にも泣き出しそうな、子どものような顔。傷ついて、泣いて、縋りそうな、そんな弱々しい顔だった。何を思ったのか、クロノはずっと口づけを繰り返し、息継ぎをするために唇を離すたびに、エイミィの名前を呼んだ。
名前を呼ぶ声が、まるで好きだ好きだと言っているようで、ドキドキする。苛立ちよりも、愛しさばかりが胸に落ちる。
まずは、なのはとの会話で毒気を抜かれた。何だか、怒っていた自分が馬鹿らしく感じられたからだ。
次に、翌日になっても落ち込んでいるクロノの姿に良心が痛んだ。自分で傷つけておいて都合の良い話だが、なんだか可哀そうになってしまったのだ。ちょっと距離を置いたふりをしただけだというのに、クロノのユーノへの無自覚の八つ当たりは倍額へと膨れ上がっていた。表面上は何も変わらなかったからタチが悪い。フェイトとユーノあたりは気付いて、おろおろしていたり、怒っていた。
大人として、それは如何なものかと思い、エイミィはなのはにクロノへのフォローを頼んだ。色々あった末、結果として、今こうして押し倒されて、キスをされている。
時折、クロノの顔が見えると、やはり泣きそうな顔で、慰めてやりたくても手を押さえつけられ、撫でてやることもできない。
「ふあっ、ん、んんっ!」
舌を絡め、唾液が口の端から漏れる。唾液が顎を伝い、エイミィの髪を汚した。
二日くらいしか離れていなかったはずなのに、身体を重ねた温みが、エイミィをほっとさせていた。もっと近づけたらと思うが、彼の背中に腕が伸ばせない。
「んっ……クロ、クロノくん……!」
「………っ……」
息継ぎのタイミングを見計らい、彼の名前を呼ぶ。さすがに息がもたないのか、長い息継ぎをしていたクロノの隙をついた。名前を呼ばれたクロノはぎくりと肩を揺らし、視線を逸らした。
罪悪感。それとも、後悔か、不安か。どれとも取れる表情を、クロノはした。エイミィがもう一度呼びかけると、彼女の手を拘束していた手が解かれる。長い間重なっていた手のひらは赤くなり、動かしづらい。これでは慰めるために、頬や頭を撫でてやることもできないと、エイミィが考えていると、彼女の身体が浮き上がる。
「……エイミィ…っ…」
泣きそうな声。クロノに抱きしめられ、ベッドについていた背はクロノの腕に閉じ込められる。彼女の肩に顔を埋め、エイミィの名を何度も呼ぶクロノの背に、腕を伸ばした。より近くなる距離。
「クロノくん? 泣いてる?」
「……泣いてない」
「嘘ばっかり」
「泣いてなんか、ないさ」
本当は知っていた。いくら泣きそうになっても、泣かないことを。泣けないことを。わかっていて、口にしたのだ。涙を流さなくても、心は泣いている。どんなに傷つけられても、傷つけても、好きな相手だ。自然と、その心がわかってしまう。
「ごめんね……?」
「………っ……」
「クロノくんが、あたしのことを好きだって、ちゃんとわかってるから……」
大丈夫なんだよと、子どもをあやすように、思った言葉を口にした。わかっている。全部わかっていて、追いつめたのは自分だと、クロノの背を撫でた。
「……僕のことが嫌いになったのか?」
「…………嫌い」
「そうか………」
やっと口を開いたと思ったら、そんなことを聞くと言うのか。愛しくて、切ない存在を抱きしめながら、何一つ伝わっていないのかと、エイミィは少々腹を立てた。
嫌いと呟いたエイミィに、クロノは身体を強張らせ、身体を離そうとする。
「そういう風に、言葉通りに取るクロノくんなんか、嫌い」
嫌いだったら、離れようとするクロノの身体を離すまいと抱きしめたりしない。クロノの身体が少し離れたことで、エイミィの唇が彼の頬に触れられる。嫌いだったら、死んでも、彼の頬にキスなんてしない。
「…………一応、僕は君の上官なわけで、虚偽は許されないわけだが……」
「こういう時に、上官とか部下とか言い出すクロノくんはホンット嫌い」
やっと嘘だとわかったのか、クロノの声が柔らかくなる。途端、本気だか冗談だかわからない言葉を口にした。今は二人きりだというのに、仕事上での立場を持ちだすクロノに、エイミィは頬を膨らませた。確かに二人は直属の上官と部下で、執務官と執務官補佐だが、それ以前に―――。
「なら、恋人として聞こう……僕のことを、まだ好きでいてくれるか?」
―――恋人だ。
冗談めいた言葉を口にしたあとの割には、彼の声は震えていた。エイミィの返答を待たずして、クロノは彼女を抱きしめる。これだけ触れ合って、まだ伝わらない気持ちがもどかしい。不安だという気持ちも、好きだという気持ちも、エイミィには伝わっているというのに。
「……好きだよ? クロノくんの言葉に、いちいち怒っちゃうくらい、好き……大好き」
「そうか……」
クロノの口から、小さく息が漏れ、エイミィの頬にかかる。より強く抱きしめられ、苦しいくらいだ。
好き。好き。大好き。そう何度繰り返せばいいのだろう。どうすればクロノは安心するのだろうと、思いながら、彼の口づけを再び受け入れる。
仕事中であることを忘れてしまうくらい、彼に夢中だというのに――――。
あとは、結婚くらいしか選択肢はないかもしれないと、彼に抱きしめられながら、そう思った。
◇◇◇
「はあっ……」
時空管理局本局食堂で、ため息を吐く歩くロストロギアが一人。歩くロストロギアこと、八神はやては手にしたグラスを見つめながら、げんなりとした顔をしていた。そんな彼女の目の前に、一つのケーキが突然現れる。不思議に思い、顔を上げると、よく見知った明るい色が彼女の目に映った。
「あ、ロッサ」
「や! はやて」
彼女の友人である、ヴェロッサが気付けばはやての向かいに座っていた。彼の前にもケーキが一つ。半分くらい食べ進んだそれは、どれだけはやてが彼に気付かなかったかの証明であった。急に現れたと思っていたが、実際はクリームが少し乾いていた。僕が作ったんだよと、ヴェロッサははやてにウィンクして見せる。折角のヴェロッサの特製ケーキの味が落ちてしまったことが、ひどくもったいなく思えた。
「何か、悩みごと?」
「……あたしの悩みごとっていうか……………」
「ん?」
「クロノ君の悩みごとがなあ……」
「あ、ああ……」
はやてのため息から、何かあったのかと問うヴェロッサに対し、彼女はほんの少し躊躇い、答えを口にする。はやての答えに、ヴェロッサは納得の声をあげてしまった。
「きみにも来た? 相談メール……」
「ロッサにも? 内容は一緒かなあ……?」
「だったら、まとめて対処できるだろうけど、違うだろうね………」
はやてとヴェロッサは、ほぼ同時にため息を漏らす。
今から約一年前、某魔砲少女の言葉がきっかけで、割とこまめにクロノから相談メールが届くようになった。真面目な彼のことだ。あまりにも思いつめて、いきなりボッキリ折れてしまうなんてこともあり得る。そんな事態になるよりは、こまめに相談される方が幾分マシかに思えたが―――何分、内容がうっとうしい。
やれエイミィがどうした、エイミィとどうたらと、恋人のことばかりで相談されて、二人はうんざりしていた。某無限書庫司書長はあまりの頻度に一度盛大にキレたため、あまり送られることはないが、それでもやはり送られているらしい。
諸悪の根源たる某教導官には、ごく稀に送られると本人に聞いた。悩んだときは友だちに聞いてもらえば良いと教えた張本人には恥ずかしくてあまり送っていないと、クロノは言った。彼女が彼の初恋の相手だからとか甘酸っぱい理由ではなく、なのはの親友兼恋人である義妹に知られたくないという、格好をつけたい格好悪い兄の事情だった。
なのはほどフェイトに近くなく、何だかんだと返事をしてしまうはやてとヴェロッサが、現在のターゲットとなっている。
「あたしんとこには、エイミィさんに浮気したら別れるからって言われたって……」
「僕には、彼女の初恋を知っちゃったって……」
はあ。
お互いがされた相談を口にした途端、二人はまた深いため息を漏らした。くだらない上にうっとうしい。色ボケにも程がある。
より具体的に相談内容を言うと、はやての方は、エイミィに自分が浮気をしたらどうするのかと聞いてしまったと書いてあった。突発的な性的関係としての浮気なら即座に別れる。心変わりとしての浮気ならば、ご丁寧に人事に連絡して人員を確保、引き継ぎをした後、クロノに黙って管理局を退職。その後、ヴェロッサあたりを誘惑して、結婚して、クロノに見せつけてやると言われたらしい。はやてはこの相談メールを読んで、すぐさま、何で聞いてしまったんだとツッコんだ。クロノが浮気をするなんて思えないが、まるで浮気をする前振りのようで、彼女の機嫌を損ねるに決まっているではないか。
「何で、僕、巻き込まれてるの……?」
「某司書長は想い人がいるから、難易度高いってことらしいんや……」
はやてが語るクロノの相談内容に、ヴェロッサは青ざめた。次にクロノに会う時が怖い。女の嫉妬も醜いが、男の嫉妬も大概だ。
続いて、ヴェロッサがクロノからの相談メールの内容を打ち明ける。
ヴェロッサはクロノからのメールで、エイミィの初恋の相手を知ってしまった。その相手とは、初等科のころの学校の先生だという。至極、一般的な初恋の相手である。だが、クロノとしては大変ショックなものであったらしい。気持ちはわかるが、クロノが彼女の初恋の相手であると考えるのは無理がある。世間的に、初恋というのは幼いころに終えているもので、二人が出会ったころには子どもとはいえ、彼女は十分大きくなっていた。
ヴェロッサは口にはしないが、心の中でクロノにツッコむ。彼女の初めてのキスやら何やらを奪って、まだ足りないのかと。
はやてへのセクハラになるので言わないし、クロノに知れたら要らない疑惑を生みそうだから本人にも知らせていないが、ヴェロッサはあのカップルの色々を知っていた。
初めてのキスは事故のようなものだったと、クロノから聞いた。付き合い始めた理由は照れて教えてくれないが、何となくそれがきっかけだったのだろと考えている。
初めてのキスの相手だけではなく、その他の行為の初めての相手まで知っているのは、当のエイミィ本人がうっかり漏らしてしまったからなのだが、そんなことを知ったと、クロノに知られたら、エターナルコフィンで氷殺される。グレアムはとんでもないものをクロノに残していったものだ。
「初恋は実らないって相場が決まってるもんやん……何で聞いてまうん?」
「万が一を期待したんじゃないかな……」
「まあ、身近に妹と言う例外がいるしなあ……」
彼の義妹・フェイトの初恋の相手はなのはだ。その恋は実り、イチャイチャラブラブ。確かに期待してしまう気持ちもわかるが、初恋に敗れる某司書長も身近に見ているではないか。
女は男の最後の女になりたがるというが、男は女の最初の男になりたがるという。それは例外なくクロノにも当てはまるようで、彼は自分を棚に上げてショックを受けていた。ヴェロッサも、長年の友人がここまで貪欲だと知らなかった。恋に溺れるって、こういうことをいうのかと、軽く流せたら良かったが、あまりの相談メールの量でげんなりする。それでも、彼女の前では格好をつけたがるから、タチが悪い。
「初恋にこだわらなくたって、今の恋が確かなものだったら、それでええやん……」
「でも、確かに初恋が実ったら、ロマンティックだよね」
「まあ、確かに、そうなんやけど」
はやてはクロノに呆れ、もう氷が溶けてしまったアイスティーに口をつける。初恋は実らなくても、今ある恋が確かに繋がっているなら、それだけで良い。そのことについてはヴェロッサも同意する。実るだけマシなのだ。
「そういうはやては?」
「……セクハラやって、言いたいところやけど、実際相場通りや。実るわけない」
「もしかして、クロノ君?」
ヴェロッサの問いに少し切なげに笑うはやての姿。何となくはやての気持ちが理解できるヴェロッサはその表情を笑わせたくて、あえてあり得ないことを口にした。
「あっはっはー、あたしの好きな人はクロノ君なんかよりも、よっぽど格好ええ。それに、いくらええ人で、男前で優しくて、艦船持ちの提督っていうエリートでも、あんな変態さんな彼氏はいややー」
クロノからのメールを忘れたくて、二人は軽口を叩く。本人に聞かれたら一大事だ――そう、一大事になる。
「悠久なる凍土……凍てつく棺の内にて、永遠の眠りを与えよ」
「え?」
「凍てつ」
「ストーップ! クロノ君、ストーップ!!」
背後から聞こえる氷結魔法の詠唱。振り向けば、よく見知った黒いバリアジャケット。かつてその魔法で永久凍結の封印をされそうになり、クロノに助けられたはやては必死になって、彼を止める。
「ちっ」
「ここをどこだと思ってるん!? 本局やで、本局!」
「大丈夫、出力は最低にしているし、非殺傷設定だ」
「それでも危ないわ!」
舌打ちする友人に驚愕するが、ツッコミは忘れない。空戦AAA+以上の魔導師が高ランク魔法。出力を落としたところで、危ないにもほどがある。
「君が人を変態呼ばわりするからだ」
「いだっ」
クロノは妥協したのか、詠唱完了しているデュランダルの柄ではやての頭を叩く。たかが変態呼ばわりで氷結魔法を喰らうより、よっぽど釣り合った罰だ。はやては黙ってそれを受け入れる。
「クロノ君、久しぶりー」
「ああ、ロッサ。実際会うのは久しぶりだな」
「まあ、クロノ君はアースラにいることが多いからね、お疲れ様、艦長さん」
はやてのようにクロノの怒りを向けられたくないのか、ヴェロッサは心の内を隠したまま、当たり障りのない挨拶を彼に向けた。
続いて、はやても。
「断られるのが不安で、エイミィさんが寝てる間に指輪はめたクロノ君、婚約おめでとう」
「なっ!!」
「え、ついに婚約したんだー? おめでとー」
「なっ!」
はやての言葉はヴェロッサと違って当たり障りのない挨拶ではなかった。ただの秘密暴露だ。クロノの顔が真っ赤に染まる。
「っ、何で知ってるんだ!?」
「エイミィさんから聞いたフェイトちゃんに聞いただけや」
「フェイ…っ、エイミィ!!」
義妹と未来の妻、どちらを責めれば良いのわからないクロノは、声を荒げた。
「まあ、おめでたいことだし、良いじゃないか」
「ロッサ………」
今にも飛び火しそうなクロノの怒りを納めようと、ヴェロッサは彼を宥めた。
「そうそう、おめでたいことやし……って、そう言えばロッサの初恋の相手って誰なん?」
「え?」
ヴェロッサはぽかんと口を開けた。
いまいち納得しきれていない様子のクロノを宥めるついでに、はやては疑問を口にした。今来たばかりのクロノには事情が掴めていない様子だ。これでエイミィの初恋について思い出されていたら、うっとうしいことこの上なかったが、幸い思い出していない様子だ。
「さ、さあ、誰だろうね……」
誤魔化そうとするヴェロッサに、クロノはキョトンとする。はやては聞きだす気満々という顔をしていた。自分ばかり聞かれてはフェアではないといったところか。そそくさと逃げだそうとするヴェロッサに、クロノはキョトンとしたまま、言い放つ。
「誰って…シス」
「クロノ君! それ以上言ったら、僕の初恋の相手は君だって言いふらす!」
「冗談でも止めてくれ。大体、そんなに恥ずかしく思わなくても、今だってシ」
「みーなーさーん! 僕、ヴェロッサ・アコースの初恋の相手はクロ」
「なっ!」
ヴェロッサは諸刃の刃を繰り出した。ヴェロッサ、クロノ、双方のダメージ三十パーセントといったところだ。クロノをからかうようなムードから一変、どことなく殺伐としている。
「なあなあ、誰なん? 誰なん?」
「はやて! 君は黙っていてくれ!」
「そうだよ! それに、僕だって君の初恋の相手が誰だかってちゃんと聞いてない!」
「ロッサが教えてくれたら、教える。本当に、クロノ君なん?」
「そんなわけない! ロッサが好きなのはシス」
「だーかーらー! クロノ君で良いよ! もう!」
提督と査察官と特別捜査官が、ギャーギャーと阿鼻叫喚の渦を作り上げる。今日も時空管理局本局は平和だ。
三者三様の恋模様は心の内に秘めておくのが良い。それが初恋であろうと、なかろうと――――。
End
続編↓
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