何かの話(なのはSSS:クロノ×エイミィ)
2010年10月9日 SS「アルフ! ただいま!」
「ふぇ、フェイト………」
元気の良い声と共に、ハラオウン家のドアが開かれる。時刻は午後四時。ホームルームが終わってから真っすぐ帰宅したフェイトが自宅のドアをくぐる。すると、玄関に座り込んでいたアルフがいて、フェイトはニコニコと笑う。
義兄・クロノと、彼の仕事のパートナーであり、未来の妻、フェイトにとっては未来の義姉にあたるエイミィが帰ってきている。そのため、フェイトは友人たちの誘いも断り、真っすぐ家路についた。三人とも年齢は若いが、時空管理局でバリバリと働く社会人である。フェイトは学生でもあるため、家にいることも多いが、クロノが艦長職に就いてからというもの、彼の補佐官であるエイミィも、なかなか帰宅できないでいる。それぞれの生活と言うものがあるが、たまにしかそろわない家族なのだがら、一緒にいる時間を大切にしたいとフェイトは思っていた。
フェイトの使い魔であり、大切な家族であるアルフはその気持ちを実によくわかっていた。精神リンクがあろうがなかろうが、その気持ちは実によくわかる。わかるのだが、フェイトを今この場にいさせたくないと言う気持ちも、わかってほしい―――いつ時空管理局提督の理性が決壊するかわかったものではないイチャイチャラブラブをフェイトに見せたくないと、アルフは思うのだ。
「ねえ、アルフ。どうして玄関にいるの?」
「それは………」
「クロノとエイミィもいるんでしょう? エイミィ、おやつを用意して待ってるって言ってたよ? アルフ、楽しみにしてたじゃない」
無邪気なフェイトの声がアルフの罪悪感をちくちくと刺す。確かに、エイミィは朝、フェイトにそう告げていた。腕によりをかけて作っちゃうよと、大張りきりだったと、アルフも目にしていた。だからこその罪悪感。おやつどころか、エイミィは昼食すら作っていない。クロノは遅く、重い朝食を食べていたから良いだろう。アルフも、こうなるだろうと予測していたため、お使いついでに外で昼食を食べてきた。残るエイミィは昼食を食べるどころか―――クロノにおいしく戴かれかねない状況にある。
あの時、アルフがスルーしなければ、今頃おやつはできあがり、フェイトを快く家に入れているだろう。ところがどっこい、現実は違うため、アルフの罪悪感は頂点へと達しそうだ。
「なあ、フェイト」
「なあに? アルフ」
「…………なのはの家に行こう」
「え? どうして?」
アルフの突然の提案に、フェイトは首を傾げた。どうしてと問われて、答えて良いものなのかアルフは頭を抱えた。フェイトに事実を伝えて良いものなのか。思春期真っただ中の少女に意味がわからぬことではない。結婚を前提とした付き合いをして、最早つがいといって良い仲であるのだから、別にことに及ぼうが何だろうがアルフは気にしない。ただ、フェイトが帰ってくるのだから控えてほしいだとか、いつも澄ました顔をしたクロノが色ボケているのは結構心的ダメージがあるんだぞとか、そういう風に思ってしまう。
しばし、アルフが苦悩していると、フェイトは不審がった瞳をこちらに向ける。アルフにはそう言ったフェイトの視線も理解できる。確かに、自分の行動は不審だ。それは認めよう。だが、大事なフェイトには、この微妙な心境を味わってほしくない。
アルフは決心する。第97管理外世界には便利な言葉があったものだ。
「フェイト!」
「うわっ……何? アルフ……」
「落ち着いてよく聞いてくれ?」
「うん」
いきなり大きな声を出したアルフにフェイトはビクリと肩を上下させる。キョトンとするフェイトの姿に、またアルフの罪悪感が刺激されたが、そんなものは無視して彼女は口を開いた。
「クロノが………エイミィと二人きりになりたいから、三時間くらい出かけてきてくれないかって………」
「クロノが………?」
「うん、クロノが………」
嘘も方便。
いや、嘘は言っていない。嘘は。彼の行動は暗にそう告げている。ただ、口にしていないだけで、アルフはそれを察したに過ぎない。実際は口に出してはいないため、結果的に嘘になるが。
「そっか………ここ最近、二人とも忙しかったみたいだし、そうだよね」
うん。
フェイトは納得した顔を見せた。義兄と、姉のような存在だったエイミィが恋人同士になった時、誰よりも喜んだのはフェイトだった。それこそ、子どものように跳びはねて喜んだものだ。その二人がもうすぐ結婚して、姉のようだったエイミィはフェイトにとって本当に義姉となる。二人の幸せを喜んでいるフェイトは、義兄たちが恋人同士として二人きりにしてあげることに、寂しさなんて微塵も感じないようだった。アルフがホッとすると同時に、フェイトは踵を返し、片手を差し出す。大好きな二人を思い、大好きななのはのもとへ行くのなら、フェイトにとって何にも問題はなかった。アルフとしては何となく、思うところがあったが、フェイトが嬉しそうなら問題ないと、差しのべられた手を握り返した。
◇◇◇
二人がイチャイチャし始めてから、どれくらいの時間が立ったのだろう。
最初はただ甘えたいだけだった。
クロノが一人で仕事を抱えこもうとするため、補佐官として、恋人として、婚約者として、彼から仕事を奪い取り、できる限りのことをした。端から、クロノ一人でやろうとするには多すぎる仕事量だった。それは二人に分散されても同じこと。ただ単純に、負担だけが増えてしまい、それでもエイミィは意地で仕事をやり通した。大きな仕事を終え、やっと迎えた休日。好きな男性に甘えてみたくなるのは恋する乙女の道理というもの。
自宅に仕事を持ち込んだクロノの背に、くっついてみたりしたエイミィは―――気がつけば、クロノの腕の中に閉じ込められている。ぎゅっと抱きしめられれば、ドキドキと心臓が早まる。いつまでも慣れない自分がおかしいやら、何だか悔しいやら。
「ぎゅっとして……」
「ああ……」
クロノの胸にのの字を書くエイミィが呟いた言葉に、彼は反射的に口づけをした。好きだと何回言われても足りない。何度キスをしても足りないと、彼女の唇だけでなく、頬や額にも唇を落とす。エイミィはくすぐったそうに身を捩らせた。
「大好き……」
「ああ………」
「クロノくんも、言って……?」
「…………」
「何で黙るのー!?」
くすくす笑いながら囁くエイミィに満足げな笑みを浮かべていたクロノが返り討ちにあう。何度も、キスをしてほしい、もっとぎゅっとしてほしいという彼女の要求に応えてきたクロノだったが、今度の要求には応えられないらしい。
「いや、恥ずかしくて……」
「もっと、恥ずかしいこと言えるくせにー!」
クロノの返答に、エイミィはぷりぷりと怒りだす。愛しているとは言えて、何故大好きだとは言えないのか。ある意味当然のリアクションに彼は押し黙るばかりだった。しかし、クロノもあることに気付く。
「そういう君だって、僕に『愛している』と言ったことがないじゃないか」
「うっ……大好きって、いっぱい言ったよ!?」
「君の声で『愛している』と聞きたいんだが?」
「……ううっ……」
「そうか……僕はエイミィのことを愛しているが、エイミィは僕を愛していないのか……」
何故、大好きとは言えないのに、愛しているとは何度も言えるのか、ツッコむ余裕は今のエイミィにはない。わざとらしく、しょんぼりして見せるクロノにエイミィはあわあわと戸惑う。
「違うの! …………その……ぃ、してないわけじゃなくて………そのっ」
「エイミィ?」
「だって、だって……」
恥ずかしそうに、エイミィはどんどん身体を縮こまらせる。愛しているという気持ちは本当だが、口に出そうとすると何故か恥ずかしくなってしまうようだ。クロノはそれをわかっていて、わざとエイミィを追いつめていく。その言葉が聞きたいと言うのは本当だ。
「く、クロノくんは……言えるの!?」
「言えるが? というよりも、もう何度も言っているだろう?」
「あ、あうっ……」
「エイミィ?」
――――決死の覚悟をしてプロポーズを決めた男に、もう怖いものなどなかった。
その後もクロノの追及は続き、エイミィが持つ通信端末にリンディたちから連絡が来ていたことに気付くのは、日付が変わる直前であった。
◇◇◇
「明後日には返せると思うから! 本当にごめんね!」
そう叫ぶように言って、フェイトは教室を後にする。彼女は一学生としてではなく時空管理局執務官として、急いでいた。ピシャリと閉じられたドアを見て、まだ教室に残っているなのはは少々呆れるような顔を見せる。
「そんなに慌てることないんだけどなぁ……」
フェイトに対して振っていた手を下ろし、なのはは呟く。慌てるフェイトの心配を余所に、なのはは二重の意味でそう思っていた。そんなに急がなくても、トラブルさえなければフェイトは予定より少し早いくらいの時間に管理局に着く。廊下を走らなくても十分間に合うのだ。廊下は走ってはいけないもの。すれ違い様に教師から注意を受けていないと言うなら、明日フェイトが登校した際に注意しよう。それが学友としての気持ちだった。
なのはがもう一つの『慌てなくてもいい』という意味は―――。
「フェイトちゃんと同じ匂いして、どないしたん?」
「うわぁっ! はやてちゃん!」
いきなり話しかけられ、なのはの方がビクッと跳ねる。話しかけられるというよりも、耳元で囁くように言われ、辺りがぞわぞわする。正直、少々気持ち悪い。
「ごめんごめん、驚かせたかー?」
「そりゃ驚くよ! はやてちゃんも今日は急いで管理局の方に行かないといけな
いんじゃなかったの? 」
今日はフェイト同様、管理局勤めだと、朝、聞いたはずだが。それもフェイトとは違って、ホームルームをサボらなければ間に合わないと言っていたような。
首を傾げるなのはにはやては言う。調査の結果が思うように出ないため、延期になったと、医務官として今この時間も働いているシャマルを通して、はやてに連絡が入ったのだと。だから、アリサとすずかは習い事のため早々に帰ったし、今日はゆっくり帰るだけだと、はやてはなのはの前の席へと腰を下ろす。一緒に
帰らないかと誘われ、なのはは笑って承諾した。
「で、何でなのはちゃん、フェイトちゃんと同じ……いや、違うなぁ。フェイトちゃんは何でなのはちゃんと同じ匂いさせてんの?」
「何でって………フェイトちゃんたちが、昨日、うちに泊まっただけだよ?」
同じ匂いはフェイトがなのはの家の風呂を借りたのと、なのはのシャツを借りているためだ。下着や靴下は替えを購入できたが、学校指定のシャツまでは購入できず、かといって朝までに乾ききらず、仕方なしになのはのシャツを借りたに過ぎない。
そう語るなのはに、今度ははやては首を傾げた。
「それこそ何で? 昨日、フェイトちゃん、クロノ君たちが帰ってくるから言うて、すぐ帰ったやん」
「………だから、かな」
「ん?」
はやての問いに、なのはが意味深な言葉を呟き、視線を剃らす。しばしらく、数十秒考えて、彼女は口を開いた。
「クロノ君とエイミィさんがね……」
「………あー……」
なのはが名前を出しただけで、はやては彼女が何を言いたいのかを察した。察することができる自分に対して自己嫌悪する。数年前ならともかく、今ならわか
る。クロノがエイミィに何をしたのか。
それはなのはも同じだった。無邪気だった頃の自分が何をしたのか、クロノが何をしていたのか、今ならばわかる。わかってしまう自分が嫌だった。人の心の
機微には聡いはずのフェイトは、何故だかそこらへんについては察しが悪く、無邪気に義兄たちは仲良しだと笑っていたことを思いだし、なのははげんなりする。
「………リンディさんも一緒だったん?」
「………最初は一緒にスーパー銭湯に行って、一緒に外で晩御飯を食べるだけだ
ったはずなんだけど……」
昨日のできごとは、こうだった。理由もわかっていないフェイトを連れてアルフがなのはの家に連れていき、彼女から連絡を受けたリンディが自分の驕りだからとなのはとフェイト、アルフ、それとなのはの姉・美由希を連れ、スーパー銭湯へと足を運んだ。
どうしたのだろうとアルフに訪ねると、先ほどのなのはのようにお茶を濁した。どういうことなのか何となく察することができるアルフの言葉になのはは頭を抱えた。本当に頭を抱えたいのは、母親であるリンディだろうに、彼女は半ば諦めたような顔をして見せた。美由希はアルフの言葉通りに受け取り、フェイトと同じ解釈をした挙げ句、もうすぐ結婚だしねと笑っていた。まさかエイミィがクロノと結婚するとは思わなかったと笑う美由希に、同じように笑えたらどんなに良いことかと、複雑な視線を向けてしまった。
食事を終え、一度高町家になのはと美由希を送ったリンディは、なのはの母・桃子に、世間話の延長として、子どもの成長は早くてもうおばあちゃんになっち
ゃいそうとぼやいた。うまくぼやかしたものだと、なのはとアルフは感心したものだが、桃子は簡単に真意を察し、高町家に泊まることを薦めたのだ―――事実
、リンディが祖母になるまで然程時間がかからないとわかるのは、もう少し先のこと。
「何やっとるんや、クロノ君は……」
「まあ、もうすぐ新婚さんになるしねえ………」
「なぁ……幸せいっぱいや」
二人は急に先ほどまでの呆れ返った表情から、納得顔になる。多少迷惑だと感じたり、呆れたりはするが、大事な友人が幸せなのは良いことだと、二人は思い直した。時折目にする彼の幸せそうな顔は、出会ったころからは考えつかないような表情を見せている。
「でも、正直羨ましいんだ…」
「ん? どうしたん?」
「わたしは一生結婚できないから……」
「あ、ノロケやった」
「あれ? そう取るんだ」
しんみりとした顔を見せるなのはに、はやてはわざとおどけて見せる。少しでも明るくしようとしたが、あまり効果はないようだ。
幸せだけれど、辛い恋をしている友人にはクロノの姿は眩しく映るだろう。けれども―――。
「そや……両思いなだけ、ええと思うけどなぁ」
「あ………うん……ごめんね」
「ええよ、ええよ。気にされて、大事な親友の幸せが阻害されても困るし」
はやてがわざとらしく笑う。なのはは知っていた。はやてが誰かに恋をしていることを。
「報われないのはわかっていても、好きって気持ちなら負けへんで」
「………そう言われちゃうと、はやてちゃんの好きな人が気になっちゃうんだけど」
はやてが報われないと自己申告するような恋をしていることは知っているが、なのははその相手を知らない。報われないと彼女本人が言っているのだから詮索すればはやての心を傷つけてしまいそうだが、そんな風に言われると気になってしまう。冗談めかせて、なのはは問う。
「まさか、クロノく」
「あっははー。ロッサにも言われたわー。何や、あたしはそんなにクロノ君が好きに見えるんか」
「友人としてなら大好きだと思うけど……」
冗談のつもりで言ったが、そこまで笑われると対処に困る。
「友人としてはなぁ。あたしがクロノくんを好きとか……ないない、それだけは絶対にないよ」
少々わざとらしいが、はやては笑い続ける。これが、実は本当にクロノを好きだったら切ない話だが、はやては本心からなのはの問いを否定した。
「絶対とか、クロノ君に失礼だよ……?」
「だって、いくら顔も性格も良いエリートで、一途でもあんな変態な彼氏いややろー?」
「まぁ………」
はやてに同意した時点でなのはも失礼だとツッコミを入れる権利を持つものは、ここにはいない。そう肯定されるだけのことを、うっかり彼はしてきた。疲労のあまり馬鹿なことをしたり、疲労のあまりはやてと馬鹿なケンカをしたりと。
「確かに友人としては大好きやと思うよ? でも、それは恋とか、そんなキラキラしてたりドロドロしたもんやない」
「それはわたしも同じだけどね」
「まあ、クロノ君はあたしの好きな人知ってるんやけど…………あたしの好きな人はクロノ君なんかよりもずっと格好ええよ?」
はやては意味深な言葉を残す。
「あたしだけの王子様………いや、わたしだけの騎士様や」
「はやてちゃん……それって……」
王子様ではなく、騎士様。そして、報われないとわかっている恋―――その相手を何となく察してしまい、なのはは彼女の表情を伺う。
「ん? どうしたん?」
「もー…すぐそうやって誤魔化そうとする……」
「だから、気にせんでええって」
そう言って、はやては立ち上がる。本格的に誤魔化そうとしているのか、ついさっきまでとは全然違う表情を見せた。
「なのはちゃん、クロノ君とエイミィさんの結婚祝いでも見繕いに行こか!」
「はやてちゃん………気が早いよ、結婚は来年だって」
「ええやん、どうせいっぱい悩むんやから、今から考えても」
ニカッと笑い、はやては手のひらをプラプラと振り、なのはを自分の隣に招く。これ以上問いかけても、はやてが答えをくれないことなどなのははわかってい
た。
まあ、良いだろう。いつか、はやてが話してくれる日まで待つのも。
「なのはちゃんはYES/NO枕って本当にあると思う?」
「………あったとしても、クロノ君たちはミッドの人だから通じないと思うよ?」
「いやいや、エイミィさんなら通じるはず!」
そんな会話をしながら、なのはたちは歩き出す。なのははこの親友をどうやって止めようか――――どうやって、兄貴分の怒りを鎮めようか、頭を抱えた。
end
「ふぇ、フェイト………」
元気の良い声と共に、ハラオウン家のドアが開かれる。時刻は午後四時。ホームルームが終わってから真っすぐ帰宅したフェイトが自宅のドアをくぐる。すると、玄関に座り込んでいたアルフがいて、フェイトはニコニコと笑う。
義兄・クロノと、彼の仕事のパートナーであり、未来の妻、フェイトにとっては未来の義姉にあたるエイミィが帰ってきている。そのため、フェイトは友人たちの誘いも断り、真っすぐ家路についた。三人とも年齢は若いが、時空管理局でバリバリと働く社会人である。フェイトは学生でもあるため、家にいることも多いが、クロノが艦長職に就いてからというもの、彼の補佐官であるエイミィも、なかなか帰宅できないでいる。それぞれの生活と言うものがあるが、たまにしかそろわない家族なのだがら、一緒にいる時間を大切にしたいとフェイトは思っていた。
フェイトの使い魔であり、大切な家族であるアルフはその気持ちを実によくわかっていた。精神リンクがあろうがなかろうが、その気持ちは実によくわかる。わかるのだが、フェイトを今この場にいさせたくないと言う気持ちも、わかってほしい―――いつ時空管理局提督の理性が決壊するかわかったものではないイチャイチャラブラブをフェイトに見せたくないと、アルフは思うのだ。
「ねえ、アルフ。どうして玄関にいるの?」
「それは………」
「クロノとエイミィもいるんでしょう? エイミィ、おやつを用意して待ってるって言ってたよ? アルフ、楽しみにしてたじゃない」
無邪気なフェイトの声がアルフの罪悪感をちくちくと刺す。確かに、エイミィは朝、フェイトにそう告げていた。腕によりをかけて作っちゃうよと、大張りきりだったと、アルフも目にしていた。だからこその罪悪感。おやつどころか、エイミィは昼食すら作っていない。クロノは遅く、重い朝食を食べていたから良いだろう。アルフも、こうなるだろうと予測していたため、お使いついでに外で昼食を食べてきた。残るエイミィは昼食を食べるどころか―――クロノにおいしく戴かれかねない状況にある。
あの時、アルフがスルーしなければ、今頃おやつはできあがり、フェイトを快く家に入れているだろう。ところがどっこい、現実は違うため、アルフの罪悪感は頂点へと達しそうだ。
「なあ、フェイト」
「なあに? アルフ」
「…………なのはの家に行こう」
「え? どうして?」
アルフの突然の提案に、フェイトは首を傾げた。どうしてと問われて、答えて良いものなのかアルフは頭を抱えた。フェイトに事実を伝えて良いものなのか。思春期真っただ中の少女に意味がわからぬことではない。結婚を前提とした付き合いをして、最早つがいといって良い仲であるのだから、別にことに及ぼうが何だろうがアルフは気にしない。ただ、フェイトが帰ってくるのだから控えてほしいだとか、いつも澄ました顔をしたクロノが色ボケているのは結構心的ダメージがあるんだぞとか、そういう風に思ってしまう。
しばし、アルフが苦悩していると、フェイトは不審がった瞳をこちらに向ける。アルフにはそう言ったフェイトの視線も理解できる。確かに、自分の行動は不審だ。それは認めよう。だが、大事なフェイトには、この微妙な心境を味わってほしくない。
アルフは決心する。第97管理外世界には便利な言葉があったものだ。
「フェイト!」
「うわっ……何? アルフ……」
「落ち着いてよく聞いてくれ?」
「うん」
いきなり大きな声を出したアルフにフェイトはビクリと肩を上下させる。キョトンとするフェイトの姿に、またアルフの罪悪感が刺激されたが、そんなものは無視して彼女は口を開いた。
「クロノが………エイミィと二人きりになりたいから、三時間くらい出かけてきてくれないかって………」
「クロノが………?」
「うん、クロノが………」
嘘も方便。
いや、嘘は言っていない。嘘は。彼の行動は暗にそう告げている。ただ、口にしていないだけで、アルフはそれを察したに過ぎない。実際は口に出してはいないため、結果的に嘘になるが。
「そっか………ここ最近、二人とも忙しかったみたいだし、そうだよね」
うん。
フェイトは納得した顔を見せた。義兄と、姉のような存在だったエイミィが恋人同士になった時、誰よりも喜んだのはフェイトだった。それこそ、子どものように跳びはねて喜んだものだ。その二人がもうすぐ結婚して、姉のようだったエイミィはフェイトにとって本当に義姉となる。二人の幸せを喜んでいるフェイトは、義兄たちが恋人同士として二人きりにしてあげることに、寂しさなんて微塵も感じないようだった。アルフがホッとすると同時に、フェイトは踵を返し、片手を差し出す。大好きな二人を思い、大好きななのはのもとへ行くのなら、フェイトにとって何にも問題はなかった。アルフとしては何となく、思うところがあったが、フェイトが嬉しそうなら問題ないと、差しのべられた手を握り返した。
◇◇◇
二人がイチャイチャし始めてから、どれくらいの時間が立ったのだろう。
最初はただ甘えたいだけだった。
クロノが一人で仕事を抱えこもうとするため、補佐官として、恋人として、婚約者として、彼から仕事を奪い取り、できる限りのことをした。端から、クロノ一人でやろうとするには多すぎる仕事量だった。それは二人に分散されても同じこと。ただ単純に、負担だけが増えてしまい、それでもエイミィは意地で仕事をやり通した。大きな仕事を終え、やっと迎えた休日。好きな男性に甘えてみたくなるのは恋する乙女の道理というもの。
自宅に仕事を持ち込んだクロノの背に、くっついてみたりしたエイミィは―――気がつけば、クロノの腕の中に閉じ込められている。ぎゅっと抱きしめられれば、ドキドキと心臓が早まる。いつまでも慣れない自分がおかしいやら、何だか悔しいやら。
「ぎゅっとして……」
「ああ……」
クロノの胸にのの字を書くエイミィが呟いた言葉に、彼は反射的に口づけをした。好きだと何回言われても足りない。何度キスをしても足りないと、彼女の唇だけでなく、頬や額にも唇を落とす。エイミィはくすぐったそうに身を捩らせた。
「大好き……」
「ああ………」
「クロノくんも、言って……?」
「…………」
「何で黙るのー!?」
くすくす笑いながら囁くエイミィに満足げな笑みを浮かべていたクロノが返り討ちにあう。何度も、キスをしてほしい、もっとぎゅっとしてほしいという彼女の要求に応えてきたクロノだったが、今度の要求には応えられないらしい。
「いや、恥ずかしくて……」
「もっと、恥ずかしいこと言えるくせにー!」
クロノの返答に、エイミィはぷりぷりと怒りだす。愛しているとは言えて、何故大好きだとは言えないのか。ある意味当然のリアクションに彼は押し黙るばかりだった。しかし、クロノもあることに気付く。
「そういう君だって、僕に『愛している』と言ったことがないじゃないか」
「うっ……大好きって、いっぱい言ったよ!?」
「君の声で『愛している』と聞きたいんだが?」
「……ううっ……」
「そうか……僕はエイミィのことを愛しているが、エイミィは僕を愛していないのか……」
何故、大好きとは言えないのに、愛しているとは何度も言えるのか、ツッコむ余裕は今のエイミィにはない。わざとらしく、しょんぼりして見せるクロノにエイミィはあわあわと戸惑う。
「違うの! …………その……ぃ、してないわけじゃなくて………そのっ」
「エイミィ?」
「だって、だって……」
恥ずかしそうに、エイミィはどんどん身体を縮こまらせる。愛しているという気持ちは本当だが、口に出そうとすると何故か恥ずかしくなってしまうようだ。クロノはそれをわかっていて、わざとエイミィを追いつめていく。その言葉が聞きたいと言うのは本当だ。
「く、クロノくんは……言えるの!?」
「言えるが? というよりも、もう何度も言っているだろう?」
「あ、あうっ……」
「エイミィ?」
――――決死の覚悟をしてプロポーズを決めた男に、もう怖いものなどなかった。
その後もクロノの追及は続き、エイミィが持つ通信端末にリンディたちから連絡が来ていたことに気付くのは、日付が変わる直前であった。
◇◇◇
「明後日には返せると思うから! 本当にごめんね!」
そう叫ぶように言って、フェイトは教室を後にする。彼女は一学生としてではなく時空管理局執務官として、急いでいた。ピシャリと閉じられたドアを見て、まだ教室に残っているなのはは少々呆れるような顔を見せる。
「そんなに慌てることないんだけどなぁ……」
フェイトに対して振っていた手を下ろし、なのはは呟く。慌てるフェイトの心配を余所に、なのはは二重の意味でそう思っていた。そんなに急がなくても、トラブルさえなければフェイトは予定より少し早いくらいの時間に管理局に着く。廊下を走らなくても十分間に合うのだ。廊下は走ってはいけないもの。すれ違い様に教師から注意を受けていないと言うなら、明日フェイトが登校した際に注意しよう。それが学友としての気持ちだった。
なのはがもう一つの『慌てなくてもいい』という意味は―――。
「フェイトちゃんと同じ匂いして、どないしたん?」
「うわぁっ! はやてちゃん!」
いきなり話しかけられ、なのはの方がビクッと跳ねる。話しかけられるというよりも、耳元で囁くように言われ、辺りがぞわぞわする。正直、少々気持ち悪い。
「ごめんごめん、驚かせたかー?」
「そりゃ驚くよ! はやてちゃんも今日は急いで管理局の方に行かないといけな
いんじゃなかったの? 」
今日はフェイト同様、管理局勤めだと、朝、聞いたはずだが。それもフェイトとは違って、ホームルームをサボらなければ間に合わないと言っていたような。
首を傾げるなのはにはやては言う。調査の結果が思うように出ないため、延期になったと、医務官として今この時間も働いているシャマルを通して、はやてに連絡が入ったのだと。だから、アリサとすずかは習い事のため早々に帰ったし、今日はゆっくり帰るだけだと、はやてはなのはの前の席へと腰を下ろす。一緒に
帰らないかと誘われ、なのはは笑って承諾した。
「で、何でなのはちゃん、フェイトちゃんと同じ……いや、違うなぁ。フェイトちゃんは何でなのはちゃんと同じ匂いさせてんの?」
「何でって………フェイトちゃんたちが、昨日、うちに泊まっただけだよ?」
同じ匂いはフェイトがなのはの家の風呂を借りたのと、なのはのシャツを借りているためだ。下着や靴下は替えを購入できたが、学校指定のシャツまでは購入できず、かといって朝までに乾ききらず、仕方なしになのはのシャツを借りたに過ぎない。
そう語るなのはに、今度ははやては首を傾げた。
「それこそ何で? 昨日、フェイトちゃん、クロノ君たちが帰ってくるから言うて、すぐ帰ったやん」
「………だから、かな」
「ん?」
はやての問いに、なのはが意味深な言葉を呟き、視線を剃らす。しばしらく、数十秒考えて、彼女は口を開いた。
「クロノ君とエイミィさんがね……」
「………あー……」
なのはが名前を出しただけで、はやては彼女が何を言いたいのかを察した。察することができる自分に対して自己嫌悪する。数年前ならともかく、今ならわか
る。クロノがエイミィに何をしたのか。
それはなのはも同じだった。無邪気だった頃の自分が何をしたのか、クロノが何をしていたのか、今ならばわかる。わかってしまう自分が嫌だった。人の心の
機微には聡いはずのフェイトは、何故だかそこらへんについては察しが悪く、無邪気に義兄たちは仲良しだと笑っていたことを思いだし、なのははげんなりする。
「………リンディさんも一緒だったん?」
「………最初は一緒にスーパー銭湯に行って、一緒に外で晩御飯を食べるだけだ
ったはずなんだけど……」
昨日のできごとは、こうだった。理由もわかっていないフェイトを連れてアルフがなのはの家に連れていき、彼女から連絡を受けたリンディが自分の驕りだからとなのはとフェイト、アルフ、それとなのはの姉・美由希を連れ、スーパー銭湯へと足を運んだ。
どうしたのだろうとアルフに訪ねると、先ほどのなのはのようにお茶を濁した。どういうことなのか何となく察することができるアルフの言葉になのはは頭を抱えた。本当に頭を抱えたいのは、母親であるリンディだろうに、彼女は半ば諦めたような顔をして見せた。美由希はアルフの言葉通りに受け取り、フェイトと同じ解釈をした挙げ句、もうすぐ結婚だしねと笑っていた。まさかエイミィがクロノと結婚するとは思わなかったと笑う美由希に、同じように笑えたらどんなに良いことかと、複雑な視線を向けてしまった。
食事を終え、一度高町家になのはと美由希を送ったリンディは、なのはの母・桃子に、世間話の延長として、子どもの成長は早くてもうおばあちゃんになっち
ゃいそうとぼやいた。うまくぼやかしたものだと、なのはとアルフは感心したものだが、桃子は簡単に真意を察し、高町家に泊まることを薦めたのだ―――事実
、リンディが祖母になるまで然程時間がかからないとわかるのは、もう少し先のこと。
「何やっとるんや、クロノ君は……」
「まあ、もうすぐ新婚さんになるしねえ………」
「なぁ……幸せいっぱいや」
二人は急に先ほどまでの呆れ返った表情から、納得顔になる。多少迷惑だと感じたり、呆れたりはするが、大事な友人が幸せなのは良いことだと、二人は思い直した。時折目にする彼の幸せそうな顔は、出会ったころからは考えつかないような表情を見せている。
「でも、正直羨ましいんだ…」
「ん? どうしたん?」
「わたしは一生結婚できないから……」
「あ、ノロケやった」
「あれ? そう取るんだ」
しんみりとした顔を見せるなのはに、はやてはわざとおどけて見せる。少しでも明るくしようとしたが、あまり効果はないようだ。
幸せだけれど、辛い恋をしている友人にはクロノの姿は眩しく映るだろう。けれども―――。
「そや……両思いなだけ、ええと思うけどなぁ」
「あ………うん……ごめんね」
「ええよ、ええよ。気にされて、大事な親友の幸せが阻害されても困るし」
はやてがわざとらしく笑う。なのはは知っていた。はやてが誰かに恋をしていることを。
「報われないのはわかっていても、好きって気持ちなら負けへんで」
「………そう言われちゃうと、はやてちゃんの好きな人が気になっちゃうんだけど」
はやてが報われないと自己申告するような恋をしていることは知っているが、なのははその相手を知らない。報われないと彼女本人が言っているのだから詮索すればはやての心を傷つけてしまいそうだが、そんな風に言われると気になってしまう。冗談めかせて、なのはは問う。
「まさか、クロノく」
「あっははー。ロッサにも言われたわー。何や、あたしはそんなにクロノ君が好きに見えるんか」
「友人としてなら大好きだと思うけど……」
冗談のつもりで言ったが、そこまで笑われると対処に困る。
「友人としてはなぁ。あたしがクロノくんを好きとか……ないない、それだけは絶対にないよ」
少々わざとらしいが、はやては笑い続ける。これが、実は本当にクロノを好きだったら切ない話だが、はやては本心からなのはの問いを否定した。
「絶対とか、クロノ君に失礼だよ……?」
「だって、いくら顔も性格も良いエリートで、一途でもあんな変態な彼氏いややろー?」
「まぁ………」
はやてに同意した時点でなのはも失礼だとツッコミを入れる権利を持つものは、ここにはいない。そう肯定されるだけのことを、うっかり彼はしてきた。疲労のあまり馬鹿なことをしたり、疲労のあまりはやてと馬鹿なケンカをしたりと。
「確かに友人としては大好きやと思うよ? でも、それは恋とか、そんなキラキラしてたりドロドロしたもんやない」
「それはわたしも同じだけどね」
「まあ、クロノ君はあたしの好きな人知ってるんやけど…………あたしの好きな人はクロノ君なんかよりもずっと格好ええよ?」
はやては意味深な言葉を残す。
「あたしだけの王子様………いや、わたしだけの騎士様や」
「はやてちゃん……それって……」
王子様ではなく、騎士様。そして、報われないとわかっている恋―――その相手を何となく察してしまい、なのはは彼女の表情を伺う。
「ん? どうしたん?」
「もー…すぐそうやって誤魔化そうとする……」
「だから、気にせんでええって」
そう言って、はやては立ち上がる。本格的に誤魔化そうとしているのか、ついさっきまでとは全然違う表情を見せた。
「なのはちゃん、クロノ君とエイミィさんの結婚祝いでも見繕いに行こか!」
「はやてちゃん………気が早いよ、結婚は来年だって」
「ええやん、どうせいっぱい悩むんやから、今から考えても」
ニカッと笑い、はやては手のひらをプラプラと振り、なのはを自分の隣に招く。これ以上問いかけても、はやてが答えをくれないことなどなのははわかってい
た。
まあ、良いだろう。いつか、はやてが話してくれる日まで待つのも。
「なのはちゃんはYES/NO枕って本当にあると思う?」
「………あったとしても、クロノ君たちはミッドの人だから通じないと思うよ?」
「いやいや、エイミィさんなら通じるはず!」
そんな会話をしながら、なのはたちは歩き出す。なのははこの親友をどうやって止めようか――――どうやって、兄貴分の怒りを鎮めようか、頭を抱えた。
end
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